夜の運動
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帰りが遅いから、夜の10時を過ぎることもある。
けれども、20分~30分歩くだけで、驚くほど翌日の調子がいい。
スポーツで激しい運動などをした後には、たまった疲労物質を流してやるために軽い運動をする。
同じように、一日の肉体的、精神的な疲れを、歩行することで流してやれるのかも知れない。
それに、音楽を聴きながら歩いたり、考え事をしながら歩いたりすることで、心の切り替えができるのかも知れない。
いつも効果があるとは限らないし、疲れがひどくて歩く気がしない日もあるだろう。
けれども、なにか散歩の中身に変化をつけるなどして、長く続けたいものだ。
メタボリックシンドロームの予防のために始めたことが、思わぬ心にもよい効果を出している。
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脳の働きを記したものだが、最新の脳科学を知れば知るほど、心の病というのは脳の機能の異常なのだな、とつくづく感じてしまう。
毎日、自分の心の状態を観察しているが、睡眠時間や食べ物、疲れ度合い、ストレスの強弱などに関係なく脳の状態が変化している。
いや、実際にはそれらの要因が脳の機能を左右しているのだと思うが、ものすごく疲れているのに心は元気だったり、体調はいいのに気分がさえないということもある。
その日の元気は、その日の脳の調子によってしまう。
うつにしてもそうだ。
なんら特別なこともしていないのに、いつのまにか、どっぷりと沈み込むような沈鬱感がなくなり、通常の状態になっている。
脳の機能が正常に戻ってきたのだろう。
おそらくまた強烈なストレスにさらされたり、心を疲弊させるような状況が長く続いたら、やがて脳の機能が衰え、うつを再発させるのだろう。
脳の機能を維持するためにも、外からの刺激は出来るだけ緩和してやらねばならない。
そのための、心の癖を変えてやることが大切なのだろう。
なにせ、うつや神経症は、脳の一部が活発に働きすぎているのが原因であるようだから。
その部分の脳への刺激を減らしてやることを考えて行かねばならない。
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土曜日は自転車仲間とサイクルトレイン(自転車をそのまま乗せることの出来る電車)に乗って、岐阜で有名なお稲荷さんに行ってきた。
この一週間をのりきってやるぞという気合が入っていたのか、極端な疲労と睡眠不足にもめげずに、なんとか山場を越すことができた。
そういうしんどい生活を敬遠してきたのだけれど、そんなしんどさを楽しむ気持ちになってきたのは、心の回復のあらわれだろうか。
ある人が、苦しいことも悲しいことも楽しんでやるのが人生だと言った。
神は人間を、この世を楽しんでくるために現世に出してやっているのだと。
その人が本当に言いたいことは、神を信じろってことじゃ無くて、考え方感じ方を変えて人生を楽しんでしまおうってことだ。
心が強くなければそんなこと出来やしないけど、そう思うように努力することで心が強くなるという良循環も始まるかも知れない。
辛いときほどその中に飛び込んで、それを楽しんでしまうのもまたいいんじゃなかろうか。
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阿部元首相をただのボンボンだと思っていたが、やはりそうだった。
だから彼は駄目だと言いたいのではなく、だから彼が辞任を表明した時、すごく同情してしまった。
政治とは駆け引きの世界であって、自分たちには少しもその真の世界を見れないものだと思っていた。
ところが彼は人間が持つ弱さをあからさまにし、一国の頂点に立つものもまたただの人間なのだと知らしめてくれた。
彼の言う「美しい日本」というのももしかしたら本心だったのかも知れない。
なんて浅い言葉なんだと思っていたが、それだけに彼は本当にそう願っていたのかも知れない。
けれども一国を率いる人間がそうであってはいけないとも思う。
彼に同情したのも、彼を非難する報道や周りの者たちに腹立たしさを覚えたのも、それは自分を庇護しようとするエゴイズムかも知れない。
裏があってもいい、駆け引きがうまくてもいい、信念を持って日本を引っ張っていってやろうという人に率いて欲しいものだ。
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あまり仕事のことは書かないつもりでいるが、ちょっと愚痴を。
私は自分勝手な人間だが、多少の正義感のようなものもあって、明らかに意味のないことに経費なりを使うことには罪悪感を感じる。
けれども、そういうことを全然意に介さない人もいる。
経済小説などを読むと、会社を私物化するような身勝手な悪役がよく出てくるが、現実はもっとえげつないのかも知れない。
ワンマン経営の会社などは、ある意味仕方ないとは思うが、そうでない会社でも咎める立場の人が咎めようとしないようなところでは、そういうことが日常化しているのだと思う。
私が愚痴りたいのは、悪役が最後には朽ち果てる小説の世界と違って、のうのうと生き、弱い立場の人間が一度も日の目を見ずにそのまま人生を終えてしまうことがあたりまえのようにあることだ。
曽野綾子が、人間は皆平等だなんて思っている人間は愚かだと書いていたが、私もそうは思う。平等で公平だなんて、これっぽっちも思ってはいない。
けれども世のため人のために一生懸命に生きている人たちが、少しでも日の目を見るような、そんな世界を神様は作ってくれてもいいのだと思うのだ。
などと、あたかも自分自身が世のため人のために生きているような錯覚に陥っている自分自身を身勝手だと思いながら、そんな愚痴をほざいてみるのである。
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草刈といっても本格的なやつで、かなり広い範囲を草刈機やのこぎりやらを使って掃除する。
涼しくなると予想していた気候が外れて、熱帯のような湿気と暑さになった。
滝のように汗が出る。
へとへとになってもなお体を動かし、なんで休日にこんなしんどい思いをしなくちゃならないんだと思いながら、さらに作業を続ける。
そして夜。
疲れで鉛のように重くなった体を横たえて、ビールを渇きにまかせて飲んでいると、じんわりと体の奥から快感がにじみ出てくる。
これなんだ、自分が求めていたのは。
この時間が欲しくてここに帰って来たのだ、とそう思った。
心が欲求しているのは快感ばかりではない。
苦しみや悲しみや辛さやを含めて、全ての感情を全身で感じること。
そうやって心もまた活性化されるのだと思った。
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