« 2007年7月 | トップページ | 2007年10月 »

サイクルトレイン

Dscf0042_640 憂鬱と緊張と多忙の一週間が過ぎた。

土曜日は自転車仲間とサイクルトレイン(自転車をそのまま乗せることの出来る電車)に乗って、岐阜で有名なお稲荷さんに行ってきた。

この一週間をのりきってやるぞという気合が入っていたのか、極端な疲労と睡眠不足にもめげずに、なんとか山場を越すことができた。

そういうしんどい生活を敬遠してきたのだけれど、そんなしんどさを楽しむ気持ちになってきたのは、心の回復のあらわれだろうか。

ある人が、苦しいことも悲しいことも楽しんでやるのが人生だと言った。
神は人間を、この世を楽しんでくるために現世に出してやっているのだと。

その人が本当に言いたいことは、神を信じろってことじゃ無くて、考え方感じ方を変えて人生を楽しんでしまおうってことだ。

心が強くなければそんなこと出来やしないけど、そう思うように努力することで心が強くなるという良循環も始まるかも知れない。

辛いときほどその中に飛び込んで、それを楽しんでしまうのもまたいいんじゃなかろうか。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

憂鬱

Dscf0046_640 憂鬱な時は走るに限る。

今日は自転車で山を登った。
頂上という目標があるから、心は一心になる。

ぜいぜいと息を切らしながら、一回転一回転と踏み込んでいく。

憂鬱はいつのまにか無くなり、目指す頂上だけが心を占める。

やがて頂上にたどり着き、吹き出る汗を拭きながら地べたに座った。

デイパックの中から本を取り出し、ゆっくりと読む。

木々とせせらぎの音につつまれながら本の世界に入っていくと、そこには至福の時間だけがあった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

首相

Dscf0018_640 阿部元首相をただのボンボンだと思っていたが、やはりそうだった。

だから彼は駄目だと言いたいのではなく、だから彼が辞任を表明した時、すごく同情してしまった。

政治とは駆け引きの世界であって、自分たちには少しもその真の世界を見れないものだと思っていた。

ところが彼は人間が持つ弱さをあからさまにし、一国の頂点に立つものもまたただの人間なのだと知らしめてくれた。

彼の言う「美しい日本」というのももしかしたら本心だったのかも知れない。
なんて浅い言葉なんだと思っていたが、それだけに彼は本当にそう願っていたのかも知れない。

けれども一国を率いる人間がそうであってはいけないとも思う。

彼に同情したのも、彼を非難する報道や周りの者たちに腹立たしさを覚えたのも、それは自分を庇護しようとするエゴイズムかも知れない。

裏があってもいい、駆け引きがうまくてもいい、信念を持って日本を引っ張っていってやろうという人に率いて欲しいものだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

愚痴

00043_640 今日もしんどい一日だった。

あまり仕事のことは書かないつもりでいるが、ちょっと愚痴を。


私は自分勝手な人間だが、多少の正義感のようなものもあって、明らかに意味のないことに経費なりを使うことには罪悪感を感じる。

けれども、そういうことを全然意に介さない人もいる。

経済小説などを読むと、会社を私物化するような身勝手な悪役がよく出てくるが、現実はもっとえげつないのかも知れない。
ワンマン経営の会社などは、ある意味仕方ないとは思うが、そうでない会社でも咎める立場の人が咎めようとしないようなところでは、そういうことが日常化しているのだと思う。

私が愚痴りたいのは、悪役が最後には朽ち果てる小説の世界と違って、のうのうと生き、弱い立場の人間が一度も日の目を見ずにそのまま人生を終えてしまうことがあたりまえのようにあることだ。

曽野綾子が、人間は皆平等だなんて思っている人間は愚かだと書いていたが、私もそうは思う。平等で公平だなんて、これっぽっちも思ってはいない。

けれども世のため人のために一生懸命に生きている人たちが、少しでも日の目を見るような、そんな世界を神様は作ってくれてもいいのだと思うのだ。

などと、あたかも自分自身が世のため人のために生きているような錯覚に陥っている自分自身を身勝手だと思いながら、そんな愚痴をほざいてみるのである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

生きがい

00021_640 生かされているってことをすごくありがたいことだと思っている。

感謝しなくちゃ罰があたるってこともわかっている。

けれども生きがいが見つからないとき、

いくら手前勝手で思い上がりな考えだと分かっていても、

人生は、

楽しくない。

生きがいを誰かに求めるな、自分で見つけろって、

ようくは分かっているのだが、

生きがいが、

無い。

こんなこと書いたら、自分が読んでも激怒するだろうな。

生きがいが無けりゃ死んじまえ、って。

けれども、人間って生きがいのために生きているの、というささやきが心の中から聞こえてくる。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

自分をいじめて

Photo_2実家に帰って草刈をした。

草刈といっても本格的なやつで、かなり広い範囲を草刈機やのこぎりやらを使って掃除する。

涼しくなると予想していた気候が外れて、熱帯のような湿気と暑さになった。
滝のように汗が出る。

へとへとになってもなお体を動かし、なんで休日にこんなしんどい思いをしなくちゃならないんだと思いながら、さらに作業を続ける。

そして夜。
疲れで鉛のように重くなった体を横たえて、ビールを渇きにまかせて飲んでいると、じんわりと体の奥から快感がにじみ出てくる。

これなんだ、自分が求めていたのは。
この時間が欲しくてここに帰って来たのだ、とそう思った。

心が欲求しているのは快感ばかりではない。

苦しみや悲しみや辛さやを含めて、全ての感情を全身で感じること。

そうやって心もまた活性化されるのだと思った。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

心と体調

Photoようやく涼しくなったと思ったら、また暑さのぶりかえし。
その暑さに負けまいと、通勤をかねて自転車に乗っているのだが、それがまた体力を消耗するようだ。

しんどいと気力も落ちる。
気力が落ちれば、心も沈む。
心が沈めば動けなくなる。
動けなくなれば、自然と休息し、体力が戻る。
体力が戻れば気持ちもあかるくなる。

それが普通の人のパターンなのだろう。

けれども心が沈んで動けなくなると、体の活性能力が衰え、いつまでも沈んだままに陥ってしまうこともある。
また、病んでいる時、病んでいることを自分で気づかないでいる時にも、沈んだ心は戻らない。

けれども心が戻らないからとあきらめてしまうのもいけない。体力や気力は自分で気づかないうちに回復していることもある。
自分を奮い立たせてやることで心が回復することもある。

自分というのは難しいものだと思う。

まあ、今日はあきらめて明日になったら元気になっていると信じよう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

何故に生きる?

Photoうつ病というカテゴリーから離れたら、何でもかけるような気がしてきた。

最近、生きることが面白く無くなってから、その意味を自分に問いかけることが多くなった。

そういう考えって放漫でぜいたくなことだとは分かっている。
生きている意味を考える余裕があることって幸せなことだとも思う。
けれども敢えて自分に問いかけたい。

何で生きているんだ、と。

たぶん、たぶんだが、誰かにあてにされたいからなんだろう。

仕事でも学校でも、主だった立場の中心にいて、自分がやらねばという意識があるときは、それがどんなにしんどくてもがんばれるものだ。そしてそんな自分を気づかないうちに楽しんでいるものだと思う。
やらない人をみて、自分がこんなにしんどい目をしているのに、どうして協力しないのかと、腹を立てる。そんな人は止めちまえばいいのにと思ったりもする。

けれども、おそらく蚊帳の外にいるひとの方がずっとしんどいのだと思う。
中心にいたいけど、中心になれない自分に、我慢しながら、きっとおもしろくない時間を過ごしているのだろう。

生きているってそういうことだと思う。

だから、誰からも自由になったときは、すべての生きる喜びから見放されるときなんじゃないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

1小さな旅をした。

多忙な毎日に疲れ果てているはずなのに、重い睡眠不足のからだを引きずるようにして電車に乗った。

私が求めているのは美しい景色でもなければ、見知らぬ土地へのあこがれでもない。

現実から逃れること。それだけだった。

現実がいやなわけでもなければ、苦しくって仕方がないわけでもない。
(少しまえまでは、そうだったのだが)

ひとつの問題を解決したら、またもうひとつの問題が起こって、そしてまたそれを解決する。
そんな延々と変わらぬ繰り返しに愛想をつかしてしまった。

逃避では無く、自らの気力で現実を変えていくだけのエネルギーが今の自分には無い。

だからほんの少し残っている体力で現実から逃避しているのだ。


面白くもない旅を終え、帰路についたとき、心の中からエネルギーが湧いてくるのを感じた。
私の体は新しい世界を欲しているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年10月 »