年始の不安
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早朝覚醒に苦しんでいる。
原因は、薬を減らしたことによる反動だろうか。
睡眠不足が重なって、心が衰弱してきているのが分かる。
以前も同様の経験があるので、慎重にやっているつもりだが、体の機能が薬に依存してしまっているのかも知れない。
だめだ、っていう時は自分でも分かるので、まだもう少しがんばってみたい。
副作用がなければ薬に依存するのも悪いことだとは思わない。
生きるために食べるのと同じことだから。
けれども自分の脳には元気になって欲しい。
ヘンに意固地な私ではある。
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一年以上前から心配していた難題が、先日すんなりと解決した。
それでぽっかりと心に穴が開いたのか、めったにひかない風邪を引いてしまった。
そして、せっかくのすばらしい晴天の休日がふいになってしまった。
難題はつぎつぎとやってくるし、油断をすると大きな失敗をやらかす。
風邪を引いたのも、そういう自分への警告なのだろう。
仕方がないので、頭痛と喉痛に苦しみながら、旅の本を読んでいた。
未だに熱は下がらないが、寝てばかりいるのも辛いのでパソコンに向かっている。
身構えて生きるのも疲れるが、身構える気持ちを無くしたら病魔が襲ってくる。
人間の心と体ってのは、本当に不思議だなと思う。
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今日は帰宅が早かったので、夕食後、自転車で少し走ってきた。
あいにく雨が降り出したので引き返さざるを得なかったが、それでも少し走るだけで気分も軽くなった。
今、過去の傷を再びなめるような仕事をしている。
まるで塩をかけられたナメクジのように、じわりじわりと心が縮んでいくのが分かる。
気合を入れて立ち向かいたいところだが、ミスが許されないので、冷静にならねばならない。
四六時中仕事のことを考えていると、思い込みが激しくなって、自分のミスに気付かないこともある。
仕事と休息のメリハリが必要だ。
トイレの中で、いいアイデアが浮かんだり、自分のミスに気付いたりするのは、思考が一度リセットされるからだろう。
私の場合、自転車に乗ることが心のリセットになる。
東京は桜が満開だけれど、こちらはまだつぼみ。
週末は自転車で花見に行こうと思っている。桜の咲いている下をただ走るだけだけれど、それだけで十分に楽しい。
「苦」あれば、「楽し」あり、である。
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深く負った心の傷は、いつまでも消え去ることが無い。
その心の傷から逃れられない限り、不安や恐怖から開放されることは無い。
深く深く負った心の傷のせいで、一生、うつという闇に怯えながら生きている人もいる。
これは健常な人には、絶対に理解できない苦しさだろう。
その闇からどうやって抜け出すことが出来るのか。
かすり傷程度の心の傷を治したからと言って、心の病の克服法をひけらかす人にはなりたくない。
私の傷がどのくらいの深さなのかは分からないが、気合や精神論では解決できない問題を、これからも同じような傷を負った人たちと共に考えていきたいと思っている。
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贅沢な悩みだが、よく眠れる。
今日は早朝に地震があって、普通ならそれで目が覚めてしまって眠れなくなるのだが、夢うつつで、震度はどれくらいだろうかなどと思いながら再び眠ってしまった。
眠くて起きるのが辛いという感覚と、目が覚めてしまっているのに起き上がるのが辛いという感覚とは全然違う。
今は、眠くて起きるのが辛い。
最近、夢を見るようになった。いつもなら夢を見る前に目覚めてしまっていたのに、ここ数日は夢を見たということを憶えている。
体はだるく、意欲もそれほどわかないのだが、理由の分からない焦燥感や不安感にまとわりつかれることも少なくなってきた。
今、脳の中で、少しずつ変化が起きているのかも知れない。
もう、十分休んだのだから、そろそろ起きてもいいのだよ、と脳が心にささやきかけてくれているのなら、こんなうれしいことはないのだが。
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休日に、手に入れたばかりの携帯端末をいじくっていたら、間違ったバージョンのソフトを入れてしまい、動かなくなってしまった。
インストール手順には、その旨の注意書きが記されていたのに、よく読みもしないで実行してしまったのが、そもそもの間違い。
パソコンと違って、復旧が非常に困難なものだ。
大概のことはホームページなどで検索すれば解決策が見つかるのだが、どこを探しても復旧は困難としか書いていない。
買い替えるしかないかと、あきらめかけて夕食をとっている時に、ふと思い浮かんだ方法を試したら、驚いたことに直ってしまった。
最近は万事がそうで、結果ばかりを早く求めて、冷静に物事に対処する心構えに欠けている。
仕事のトラブル続きもそんなところに原因があるのかも知れない。
急いでばかりで物事が前に進まないよりは、立ち止まって冷静に考えた方がよい。
何か焦っている。
回復が近いという期待感だろうか。
けれども、焦りのあまり、無理をして再発してしまったにがい経験もある。
とにかく無理をしない。そう心掛けなければ。
今、出張帰りのバス待ち。家に着く頃には日付が変わっている。
仕事で遅くなったのではなくて、出張先の近くに住んでいる友人と酒を飲んでいた。
そして今、偶然に直った携帯端末でこのブログを書いている。
やっぱり無理をしているな、と自戒している。
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昨日、くたくたになって深夜に帰宅をしたが、目がさえてなかなか眠れず、浅い眠りのままに朝をむかえた。
濃いコーヒーを飲んだ後、自転車で休日出勤。
週明けには、クレーム処理で出張せねばならず、不在中の連絡書を作成し、会社を出る。
その後、自転車で40キロほど走ってサイクリングを楽しんだ後、帰宅。
家で体重を量ったら、なんと成長期を過ぎてからの最軽量になっていた。
体を動かすことで新陳代謝を促し、さらに困難に立ち向かうことで、脳が今、すごく活性化しているのかも知れない。
まるで、戦場を目の前にした兵士ではないか。
疲れはいつか、ドカーンっとやってくる。
その前に眠ろう。
不安感が無い今のうちに。
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緊張しているときは、うつ感をあまり感じない。
不安感が強いときも、緊張しているのと同じような感覚になるが、本当の緊張感とは全く違う。
ストレスや不安感は、解決する糸口が見えないときに強くなる。
人間関係がそうだ。
人の心はよめないから、人と対するときには不安を感じる。
けれども、人の心がよめないのは当たり前なこと。
自分の心でさえよめないのだから。
その日の体調やら、出来事やらで、人の心なんてコロコロと変わってしまう。
だから人を見るときは、自分の勝手で見るようにしたい。
と、最近心がけるようにしている。
話がそれてしまった。
人間関係において緊張はしてもよいが、相手の心をよんで期待に答えようなどとは思わないほうが良いのかも知れない。
相手の質問には、今の自分のありのままに答える。
それでいいのだと思う。
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緊張しているときは、うつ感をあまり感じない。
不安感が強いときも、緊張しているのと同じような感覚になるが、本当の緊張感とは全く違う。
ストレスや不安感は、解決する糸口が見えないときに強くなる。
人間関係がそうだ。
人の心はよめないから、人と対するときには不安を感じる。
けれども、人の心がよめないのは当たり前なこと。
自分の心でさえよめないのだから。
その日の体調やら、出来事やらで、人の心なんてコロコロと変わってしまう。
だから人を見るときは、自分の勝手で見るようにしたい。
と、最近心がけるようにしている。
話がそれてしまった。
人間関係において緊張はしてもよいが、相手の心をよんで期待に答えようなどとは思わないほうが良いのかも知れない。
相手の質問には、今の自分のありのままに答える。
それでいいのだと思う。
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休日出勤した後で、休み気分を取り戻すべく、自転車で30キロほど走ってきた。
夜の7時過ぎに家を出て、街中を走っていると、いろいろと面白いものを発見する。
飲食店はどこもよく混んでいて、給料日後ということもあるのだろうが、景気が全般的に良くなっているというのも一因のような気がする。
そんな中で、最近出来たらしい韓国料理屋さんを見つけたので、こんど家族で行ってみたい。車を止めるところが無いほど混んでいたので、それなりに美味しいのかも知れない。
自転車は、車ではあっという間に過ぎてしまうようなところでも、ちょっと立ち止まってのぞいてみることもできる。車でそんなことをしようものなら、すぐに後ろからクラクションを鳴らされるだろう。
また、歩いていたら、キャバレーなどの呼び込みにしつこく寄り付かれそうな飲み屋街でも、自転車なら絶対に止められない。
酔っ払いを避けつつ、飲み屋街を走るのもまた、それなりに楽しいものだ。
こういう自転車の楽しみ方を「ポタリング」と言う。
そうやって家についたら9時を過ぎていた。
気分は爽快で、すっかり休日気分を味わうことが出来た。
至福のひと時だった。
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明日は仕事の予定。
へとへとに疲れて帰っているのに、メールとブログだけは必ず目を通している。
ブログを書くことで、その日一日の心の転換ができるのかも知れない。
メールを書くことで、本音とたてまえのある人間関係からリセットすることが出来るのかも知れない。
プライバシーに関することや、職場や近隣に迷惑がかかるようなこと意外は、全て本音で書いているつもりだ。
だから、本音としての、コメントやメッセージがいただけることを、とても感謝している。
自分が見えないからといって、誹謗や中傷を平気で書くような非常識な人もインターネットの世界ではたくさんいるが、少なくとも、私が目を通させてもらっているブログの作者にはそういう人はいないし、コメントなどを下さる方も良い方ばかりだ。
携帯やメールでしか対話の出来ない「おたく」と言われるような人が批判されていたりもするが、本音で語り変えないような、そんな社会になりつつある昨今のことを思えば、ほんとに批評すべき人たちは、もっと別なところにいるような気もする。
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仕事で窮地に立たされている。
後が無い状況で足がすくんだ。
せっかく良くなりかけた心が、そのストレスが要因となって再び悪化するかも知れないと思った。
そして深呼吸をし、気分を変えるために机を離れ、人に声をかけたり近辺を歩いたりした。
2時間程そうやって時間を過ごした。
再び深呼吸をし、「まあ、なんとかなるやろ」と口ずさんだ。
すると。不安も恐怖感も無くなっていた。
なんとかなる、なんとかしてみせる。窮地を乗り切るだけのエネルギーが今の自分にはあると思えた。
そして、仮に乗り切ることが出来なくてオオゴトになっても殺されるわけではない、という居直りの気持ちも受け入れることが出来た。
確かに良くなっている。ストレスを跳ね返すだけの心のエネルギーが蓄積されているようだ。
物事を前向きにとらえ、行動することで前進し、前進することで、より心が前向きになるという好循環に廻り始めた。
何故?
突然にやってきたこの変化。
その答えを今、模索している。
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忙しい。
普段とそれほど変わらない日常なのに、ばたばたとしている。
たぶん、元気がいいからだろう。
あれもやりたい、これもやれねばと、頭の中は混乱気味。
それでいて、不安感はそれほどなく、いらだちもない。
会社での昼食が砂をかむように味気なかったのが、おいしく感ぜられ始めた。
ダイエットも兼ねて、半分くらい残していたのに、今は平らげたい思いをしながら少し残している。
おかげで、日に日に体重が増えている。
一時的なものなのか、開放に向かっているのかは分からないが、焦ることはない。
きっかけとか、そういうものが何もないのに、心の調子が良くなっている。
これまで治そうと努力してきたことの効果が出てきたのか、単に脳機能の状態が良くなってきただけなのかは分からない。
唐突にやってきた復調。
本当に心の世界は不思議なものだ。
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休日の2日間を、古いノートパソコンの復旧作業に費やしてしまった。
結局、使えるまでにはならなかったが、時間を浪費したという悔しさは無い。
何かに熱中することが出来たというだけで嬉しい。
土曜日の朝に自転車で街をふらつき、ちょっと立ち寄った電気屋さんで、古いパソコンを復旧させることを思いつき、そのまま図書館に寄って昔のパソコンの本を借り、インターネットを検索しながら試行錯誤をしているうちに、あっという間に休日が終わってしまった。
以前より元気が出てきたように思う。
仕事でも前向きな思考をするようになってきた。
明日は疲れでブルーマンディになるかも知れない。
それは、明日になってみないと分からない。
けれども、今この瞬間が存在する自分なのだ。
昨日の自分も、明日の自分も現実には存在しない。
自分が存在しているこの瞬間を、生きているという実感で埋め尽くしたいのだ。
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年度末が近いということもあって、仕事が忙しい。
毎日、普段より1時間以上帰るのが遅い。
そのせいで、睡眠時間が1時間減った。
それでも、何故か元気だ。
気が張っているからだろうか。
明日は午前様かも知れない。
人から不服そうな顔をされても、睡眠時間の取れる時間帯には退社するようにしているが、明日はそういうわけには行かないだろう。
仕事をぐずぐずと伸ばすのは嫌いな方だから、雑談や無駄な作業は出来るだけしないようにしているが、皆が徹夜するような日にさっさと帰れないところなどは、やはり自分も日本のサラリーマンだと思う。
建前上は、早く帰るやつほど仕事が出来るなどと誰もが言っているが、95%くらいの人は、がんばるという行為で自分を認めてもらいたがっているのだと思う。
もちろん、私も95%の中の一人だ。
けれども、そういう人間からは卒業したいものだ。
それに、早く帰ろうとすると、あからさまにいやみを言うような人間だけにはなりたくないと思っている。
私自身、口には出さないけれど、そういう時もあったから、分からないではないが。
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忙しいから不安に気付かないのか、不安が薄れたからやることが一杯思い浮かんできたのか、とにかくここ数日はそこそこに元気が良い。
もちろん不安が無いわけではないので、すっきりと心が晴れているような状態ではない。
けれども、いつもと少し違うのだ。
暇が無いから鏡も見ないのだが、もしかしたら死んでいるような目が今は生きている目になっているかも知れない。
不安感に満たされているときに鏡を見ると、本当に目が死んでいる。
喜怒哀楽をあまり表情に表さないほうだとは思っているが、目は正直なもので、喜怒哀楽を出さない人でも、そのときの感情が目に出てしまうものだ。
元気が良いのか、昨日など本を読んでいて眠れなくなってしまい、導眠剤を追加して飲んだくらいだ。
それで、朝起きたら眠気が治まらないので、一時間ほど眠りを追加した。
勤務はフレックスなので遅刻にはならないが、フレックスなどを利用しようとしたところが、また元気の良い証拠かも知れない。
元気が無ければ、あまり取らないフレックスをとる気力も無いはずだ。
だが。
調子の良い後には、その反動がある。
だがだが、そう思うから本当にそうなってしまうのかも知れない。
正月に、縁起をかつぐのを止めると誓ったが、それは今も続いている。
きっと良くなる、そう思い込むことにする。
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最近、夕食後にダンベル体操をしている。
入浴や食事の時間を除いたら、平日は殆ど自由になる時間が無い。
新聞やニュースを見ていると、あっという間に時間がたってしまうので、目を通すくらいしかしない。
子供たちとの会話も大切にしたいと思い始めたので、子供たちが起きていれば少しでも話をするようにしている。
そしてメールやブログなどにも目を通していたら、本当に時間が無い。
元気だった頃は、睡眠時間を削れば済んだのだが、今は決まった時間には寝床に入るようにしている。
そういう時間の無い中で、ダンベル体操は、話をしながらでも、ニュースを見ながらでも、パソコンを眺めながらでも出来るのでちょうど良い。
目的は、身体の代謝機能を高めるため。
加齢とともに体の不調も心の不調も治りにくくなるのは、代謝機能が衰えているからだろうと思っているからだ。
その効果があったというわけでもないのだろうが、ダンベルを始めてから心の調子も良い。
三日坊主にならないよう、続けていたい。
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神様、私はもう十分人生を楽しませてもらいました。悲喜こもごもも時が経てば記憶も薄れていきます。全てを経験したわけでもなく、ごく平凡な人生しか歩んでいませんが、どんなにすごいことをやれたとしても、これまで経験してきた喜怒哀楽の感情の域をでるものでもないでしょう。
だから、もう生まれる前の「空」の状態に戻してください。
と、そんな思いが心に浮かんで、苦笑した。
自殺願望でも疲れきったわけでもない。
人生に飽きてしまったのだろうか。執着するものが今の自分には無い。欲望を追い求めても、そこにたどりついたら更にその上の欲望を追いかけ、走り続けねばならない。
そんな人生に何の意味があるのだろう。
などと、また考えている。
こういう時は何も考えずに、面白い本でも読みながら、眠るのが一番いい。
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妻が録画してくれていた、NHKのうつ病を扱った番組で、出演していた河合隼雄氏が、とても言いことを話していた。
うつ病は「creative ill」と言うんだそうである。
うつ病の闇から抜け出たときに、人間は生まれ変わるように、新しい創造力を発揮するという。
うつ病は、それまでの自分から脱皮するための潜伏期だと。
うつ病から生還した人の多くが、うつ病になってよかったと思うのも、そこから新しい自分が生まれ、新たな人生を創造できたことに喜びを見出すからだと、河合隼雄氏は話される。
私は、それをきいて何となく嬉しくなった。
今は、これまでに経験したことの無い、長い長い闇の中にいる。
その闇のなかで、何か新しい自分をクリエイトしているのかも知れない。
きっと生まれ変わってみせる。闇から抜け出したときには、全く新しい自分が姿を現すのだ。
そう、自分に言い聞かせている。
尊敬する河合隼雄先生にありがとうと言いたい。
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日曜日に図書館に行った話の続きになる。
図書館で、中島らもさんの若い頃のエッセイ「固いおとうふ」を一気に読んでしまったのだが、そこで面白い言葉に出会ったので紹介したい。
「必然の蓄積」という言葉だ。
らもさんは、神戸の灘中灘高という半数以上が東大に行く、怪物進学校の出なのだが、8番の成績で入ったに関わらず、途中でドロップアウトしてしまった。
若い頃、灘高出身だと知られるのが嫌で困ったそうだが、有る時期から「なぜ東大に行かなかったのだ」と聞かれて、
人は人生の分岐点で、絶対に自分の出来る方向にしか進まないものだ。あの時がんばっていればとか、誰々がこうしていればとか言って言い訳をするが、人生は全て必然の積み重ねであって、自分が東大に行けなかったのも、必然の蓄積なのです。
と、答えられるようになってから、灘高だと知られても平気になったそうだ。
そのへんを、さもさんはもっと旨く書いていたのだけれど、なにせ手元に本が無いものだから、引用できない。うまく伝えることが出来ただろうか。
私も今の自分があるのは必然の積み重ねであって、どうあがいても過去を変えることは出来ない。
だから、未来のことだけを考えて、今よりほんの少しでも良い自分をつくっていきたいと、そう思った。
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今日は自転車で30分ほど走ったところにある図書館に行ってきた。
IT関連の雑誌を読んでいると、様々なハードやソフトが普及し始めており、これから5年くらいの間にIT関連の環境が大きく変わるだろうと予測される。
電気のコンセントがLANのケーブルにもなり、AV機器や家電がネットワークに繋がる。
インターネットにテレビやオーディオが繋がることにより、映画やテレビ番組も好きな時にいつでも見ることが出来るようになるだろう。
無線LANがどこででも使えるようになり、携帯とパソコンが融合したような小型端末が出てきており、携帯よりもっと簡単にホームページを閲覧できたり、通話料も激減するだろう。
デジタルブックがもっと普及し、図書館に行かずとも、面白そうな本を見つけたらその場で中身を閲覧し、読みたいと思ったらダウンロードすればすぐに読めるという環境も整ってくるだろう。
これらは、5年以上前から試行的に始められていたことだが、ハードもソフトも普及する水準に達してきたから、これからはもっと現実のものとなってくる。
何となくわくわくとした気持ちになる。
携帯には関心が無くて、映画や音楽にも興味を失いかけていた私だが、マッキントッシュを購入し、モザイクというWWWブラウザでインターネットの世界に初めて入った時の興奮が蘇ってくるかも知れない。
ただ、当時のように人より先んじて将来の技術を自分のものにしたいという欲求は無くなって、普及し安定し安価に使えるようになったら取り込もうという、ちょっと消極的な欲求ではあるが、便利になるというだけでも嬉しいものだ。
しかし、こうなると益々外に出るのが億劫になるだろう。少し怖い気もする。
家にいながら何でも出来てしまうようになってしまえば、私の対人緊張に対する耐性が益々無くなってしまうかも知れない。
これは、私だけの問題ではなく、直接だと話が途切れるのが怖いからメールでしか話はしないという子供たちが増えているように、世の中が本当にバーチャル化してしまうのではという危惧さえ感じる。
けれども図書館の座席はどこも満席で、大勢の人たちが思い思いに本を探していた。
本を手にとって読むという行為そのものが楽しく、まわりに、本に熱中している人々がいるという雰囲気がやすらぎを感じさせるのだろう。
これはパソコン上では味わえない。
人の中には根源的にコミュニケーションを求める欲求があるのだと思う。
バーチャルではなくて、現実的なふれあいを。
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昨日、学生時代の友人から電話があった。
彼も、いろいろと苦労はしているようだが、そういう苦労話も結構面白い。
友人の中には、偉くなった者もいるが、そうなるとどうしても自分の収入や地位や仕事での立場などを話したくなるようだ。
私も、少し偉くなりそうになった頃があり、そこ頃、友人と合うと仕事の話ばかりをしていたのを思い出す。
偉くならないことの良いことは、周りを平行線で見る楽しみが出来ることだと思う。
六本木ヒルズの上の方から下界を見下ろして、自分が偉くなったのだと気分良くなるのも楽しいことだろうが、大多数の庶民が歩いている現場から、いろんな人を平行線で見るのもまた楽しいのではないか。
仕事の話ではなく、近所の面白いおじさんの話や、安くて旨い店の話やら、子供たちのために草野球のコーチに精を出している友人の話やら、そんな話で気持ちが打ち解けあうなんて、すばらしいことじゃないか。
コネを増やすために友人を増やすのも良いが、質素ながらも一生懸命に生きている仲間たちと、全然お金にもならないバカ話をする。
偉くなれなかって良かったなどと言うつもりは全く無いが、偉くなれなくってもそれなりに面白いこともあるのだと、そう私は思う。
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この間から読んでいる高田明和氏の本に、小さな目標を作って、成功体験を積み重ねなさいと書いてあった。
自己啓発の本にもよく出てくる言葉だが、今日はそれを実践した。
ある人に何度も頼んでやってもらえず、自分でも億劫になっていた客先からの依頼を、彼の上司に頼んでやってもらった。客先から催促が入ったのが自分の原動力となったわけだが、何ヶ月も気になっていたことだけに、ほっとした。
たいしたことでもないのだが、これも成功体験なのだと素直に喜んでみる。
小さなことでも、一つ一つの仕事やら用事が小さな単位でも目標になるのだから、それを達成するのはりっぱな成功だ。
大きな難題をいくつも抱えているが、その中で小さな問題は無視されたものになっていた。
それでも、それらがたまってくると不安の要因になる。
それらを一つの目標を考えることで、何度も成功体験ができるのだ。
そうやって、小さなことでも成し遂げるたびに大きく喜び、働いていることの実感を味わう。
やがて、それらが自信の一つとなり、大きな難題も小さく分けて一つ一つを解決することで、小さな成功の喜びと、最後には大きな成功の喜びが得られるはずだ。
そんなふうに、工夫しながら、自分で自分を啓発していくことだ大切なのだろう。
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ジンクスを捨てると誓った私だが、仕事に戻った途端、強烈な憂うつ感に襲われた。
正月があまりに平和だったからかも知れない。
ストレスが無く、生きることにも意欲的で、元気だった頃の自分に戻れるのではないかとさえ思っていた。
だからいろんな抱負や誓いを自分に立てることができた。
が、現実はそう甘くは無かった。
仕事始めの初日は書類を眺めているだけで仕事にならず、次の日もまた憂うつな気分に怯えながら何とか一日を乗り切った。
夜も、寝床に入ってうとうととし始めると、突然不安感が襲ってきて目が覚めてしまう。
そんな数日を終え、ようやく週末を迎えた。
けれども、自分に誓ったことは必ず守る。
ジンクスを捨てる。そう決めたから、強烈な憂うつ感に嘖まれている時にも、ジンクスには触れないようにしていた。
ストレスとの戦いはまだまだ続くようである。
やれやれ。
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今年は自らを縛っていたトラウマを修復したいと思っている。
自分の人生が違った方向に狂い始めたのは、ある事に対する罪悪感を抱くようになってからだ。
罪の意識に嘖まられ、順調な生活もいつかは天罰が下り破綻するに違いないと思い込み始めた頃から、その通りに人生が狂い始めた。
謂わばマイナスの暗示を自分にかけ続けていたのだ。
全てのことを否定的に考えたり、不安を心の中で増幅させ続けると、運命も同じように負の方向に傾いていくのだと思う。
そこで、まず最初にやりたいのが、ジンクスを捨て去ること。
私の頭の中はジンクスだらけで、例えば「霊柩車を見ると良くないことが起こる」とかいう、自分でもバカかと思うようなことに怯え、葬儀場の近くを通り過ぎることさえ出来ないでいる。
これはほんの一例で、山のようなジンクスが私の活動を阻んでしまっているのだ。
本来のジンクスは、欲望に勝てず道義的に悪いことをしてしまったりすることを戒めるために考えられた、人間の知恵だろう。
そういうためのジンクスなら持ってもかまわないと思うが、負の思考を誘うためのジンクスは捨て去らねばならない。
簡単なことなのだが、なかなか出来ないというのが自分の性質。
いくら、偶然が重なってジンクスが本当になろうとも、捨てるものは捨てる。
まずはそこから始めたい。
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自信というのが、どれだけ人生を変えてしまうのかを、私は経験的に知っている。
記憶力の無い私が、学年で一番になれるという自信を持っていた時に、試験前日に転寝のつもりが朝まで寝てしまって、翌朝の試験前の15分で教科書の数ページをほぼ完全に暗記してしまったことがある。
夢だと思っていたことを、絶対に勝ち取ってやるという自信をつけることによって、現実化したこともある。
できると信じれば必ず実現するという、自己啓発の本に必ず書いてあることが、実際にはできなくて、こんなの嘘っぱちだと思っている人も多いと思う。
けれども、本当に自分を信じ込ませることができれば必ず実現するのは事実だと、私自身は確信している。
世の中で成功してきた人の殆どは、そういった信念や自信を持つことで本当に夢を実現してきた。
けれども、それだけ自分でも体験していて分かっていることなのに、なぜ再び自信を取り戻すことができないのだろうか。
逆に言うと、それだけ自分に自信を持たせるということが難しいことなのだろう。
鏡に向かって、「夢は叶う」と唱え続けても、心が受け付けなければなんら効果はない。
「ストレスをなくせば うつ は治る」という本に、重度ではないうつ病や抑うつ神経症の場合には、心を変えることでうつ病は完治するということが書いてあることは前回の記事に書いたが、その心を変える方法というのが難しい。
著者は座禅をすることで、うつ気分は無くなると言う。
また、心が不調なときには、元気になる言葉を発することで、状況は好転すると言う。
それと、これは意外だったのだが、肉類や糖質など成人病の大敵と言われる物を多くとることによって、脳内のセロトニンなどの物質が増えて、うつ病が改善するともいう。
いずれにしても、何らかの方法で自分自身に刺激を与えてやるのが良いのだろう。
本をいくら読んでも、心が改善するわけではない。
成功した人には、必ず言動が伴っている。この著者も書いていたが、本をいくら読んで理解しても変わることはできない、大切なのはそれを実行することだと。
また、ある本にも、うつ病を本当に治したいと思ったら、真剣に治す努力をすることだ、そうしない人は、うつ病でいることに居心地のよさをどこかで感じているのだと。
ものすごく腹立たしい言葉だと感じる人が多いかも知れないが、私にとってはちょっと耳の痛い話でもある。
ただし、これは重度のうつ病の人を除いての言葉であって、重度のうつ病の人の場合は完全に脳機能が異常になっている状態であるので、早急な治療が必要なのは絶対である。
うつ状態というのは、心が萎縮している状態であり、治そうという努力がなかなかできない状態でもある。
それを無理やりコントロールしようとすると、そのストレスで却ってうつ状態がひどくなる場合が多々ある。
ちょっと元気のいいときに、心を変える努力をするというのが、最善なのだろう。
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新年、あけましておめでとうござます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
と、いうわけで、新しい年を迎える。
今読んでいる、「ストレスをなくせば うつ は治る」という題名で、浜松医科大学の教授である高田明和氏が書かれた本に、うつ病は薬では完全に治せないと書いてある。
アマゾンで作者の著書を調べてみたら、あまりにたくさんの著作があるので、なんとなくうさんくささも感じたが、この本の内容には共感するところが多くある。
重度のうつ病には、薬は確かに効く。これは間違いない事実だろう。
けれども、中等度以下のうつ病ないしはうつ状態の場合、薬はうつ病の再発やうつ状態の悪化を止める役割はしても、完治させるまでの力は無いという。
私自身、うつ病の特徴的な症状は殆ど無くなっているが、仕事などでストレスがかかるとうつ状態がひどくなり、向上心や楽天的思考が出来なくなる。
私のような状態の人が、特に日本人には多くみられるとこの著者は言う。
だから、うつ病を完治させるには、自分の心を変えるしか無いと高田明和氏は言い切るのだ。
ところで、私のブログの題名が「うつ病を心で治す」。
だからどうなんだと突っ込まれそうだが、私も、言い切るまでの自信は無いが、うつ病から完全に開放されるには、自分の心と対峙し、自分を見る目や考え方を変えていくしか無いと思っている。
ただ、私は薬は否定しない。否定していた頃もあるが、脳内の物質に異常をきたしている時に、正常な思考は出来ない。怪物を目の前にして自分を見つめ直せと言われても出来ないのと同じだ。
また、この著者は、宗教の大切さも説いている。日本人にうつ病が多いのも、宗教などの心の糧が無いからだとも言う。
このことに対しても私は同感だ。
私は宗教心が殆ど無い。私の心の糧は仕事だった。ただ、社会に貢献するという本来の経済のあり方が、利益優先で勝ち組になるためには手段を選ばないというような方向に向かうにつれ、仕事という心の糧を得られなくなってしまった。
仏教にしろキリスト教にしろ、人間の生き方の本質を問おうとしている姿がある。
本当の心のあり方はそれらの中にあるのかも知れない。
まだこの本を読了していないので、この辺については次回にでも記したいと思っている。
私自身が、うつ病は心で治せると言いながら、自分自身で迷い、時には、もう永遠に治らないのではとの不安にも駆られている。
そんな自分と戦いながら、そして多くの方の助言や励ましに支えられながら、うつ病から完全に解放される日を目指して、今年もがんばって書いていきたいと思っている。
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なんとなく、気ぜわしい毎日を送っている。
そんななかで、今日は久しぶりに本屋さんによった。
そこで、うつ病について書かれた面白い本を見つけた。
うつ病というと、題名は違っても、内容は殆ど同じという本が多いのだけれど、この本は少しだけ視点を変えたところから書いてある。
全てを読んでないので、面白い内容のところは、後で紹介したいと思っている。
明日は窓をふいて、気持ちの良い汗をかきたい。
おちついた大晦日と新年を迎えたいものだ。
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休日は自転車で走る以外は、殆ど外には出ることが少なくなった。
元気が無いからこもっているのではなくて、外に出てもストレス解消にはならないからだ。
以前は買い物をするのがストレス解消になったのか、やたらに買い物をし、家の中が物だらけになった頃がある。
便利な生活がしたいと、いろいろと買っては、それを使うのを楽しんでいた。
買ったときのうきうきとした気持ちがストレスを解消させていたのは事実だ。
けれども殆どのものが、いつの間にか使わなくなり、そのうち必要になることもあるだろうと捨てないでいるうちに物置がいっぱいになってしまった。
それでまた物入れを買う。買えばいつのまにかその物入れが一杯になっている。
そんなことの繰り返しだった。
そしてあるとき、思い切って捨てた。懐かしいミュージックテープやレコード、本棚からあふれ出していた本もかなりを処分した。本当は全てを処分したかったのだけれど、思い入れのあるものはなかなか捨てられない。けれどもいつか捨てようと思っている。
もちろん、捨てた後の買い足しはしない。
電化製品も壊れるまで使う。
そんな生活を心がけていると、こんどは買い物をすること自体がストレスになってきた。気晴らしにと子供たちを連れてショッピングに行くこともあるが、何を見ても、しばらくすれば箪笥のこやしになってしまいそうなものばかりで、買う気になれない。私自身は気晴らしどころか疲れるばかりである。
それに、将来の年金のことまで考えると、お金をやすやすとは使えない。
けれども、だ。
生活を出来るだけシンプルにするというスタイルは正しいと思っているが、買い物をするというストレス解消が無くなった今、その代わりになるものが見つかっていない。
自転車で遠出するとか、トレッキングするとか、室内プールに行くとか、いくらでもあるはずなのだが、いつの間にか出不精になってしまっている。
やはり、生きることへのエネルギーが減退しているのだろう。
どんなかたちであれ、欲望というのは必要なものなのだ。
学生時代の友人の中には、欲望でぎらぎらしたやつもいるが、さすがに仕事の方でも精力的に動き回っている。
ストイックでありながら、情熱的に生きるというのが理想の姿なのだけれど。
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大前研一の「やりたいことは全部やれ」というのを読んだ。
最近、こういった本はとんと読まないのだが、読んでみると面白い。
私がやれないことややりたいことを全部やるような人だから嫉妬もするが、あまりにもスケールが違いすぎて、かえって爽快感を感じる。
かといって、カリスマ性を備えているほどの神々しさも無く、悪口も言えば言い訳もする普通のおっちゃんでもある。
大前氏が持っていて私に無いもの。
それは、思い立ったらすぐにやる実行力、人目を気にしない我の強さ、意識の切り替えの早さ、超のつく楽天性、並外れた集中力。
並外れた集中力以外は、誰でもが意識を変えればやれそうなこと。
ところが、なかなかそれが難しい。
そんな私の自我などすぐにでも捨て去りたいものだが、何十年と積み重ねてきたものをがらりと入れ替えるのは不可能に近い。けれどもその不可能に挑戦したくもある。
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数年ぶりの大雪で定時退社。
通常の交通機関が使えないため、いつもと違うルートで帰宅。
ちょっと離れた駅から、仕方なく徒歩で家路につく。
いつもと違う一日で、疲れもしたが、気分転換にもなった。
豪雪で停電など大変な目にあった人も多いだろうから、喜べたものではないが、私自身は心の調子が良いからか、こういう変化にあまりストレスを感じなかった。
いつもよりちょっと早く帰宅したので、ブログのRSSリーダーのフリーソフトを試してみる。更新されているブログのみ確認するためであり、使い勝手の良いソフトを探しているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。
出張やら大雪やらで、仕事が滞っているというのに気楽なものだが、明日くらいにまた冷や汗をかくだろう。
焦るくらいに、追い詰められたほうが、仕事に集中できて良いのかも知れない。
と、それくらいの楽観的な気分で毎日を過ごしたいものだ。
健康おたくというほどでも無いが、健康のために食事や睡眠や運動に気を使っているが、ストレスだけはどうしようもない。
健康を保つためにストレスをためないことと、どんな本にも書いてあるが、まさか会社でストレスが無い仕事だけさせて下さいと言うわけには行かない。
ストレスの無い仕事というと、たぶん私の場合、仕事が無くなるということにもなろう。
ストレスを無くするように心がけろと言われても、心がけだけでストレスが無くせるのなら心療内科など必要無くなる。
健康関連の本や記事には必ず書いてあることだが、この言葉に疑問を感じている人も多いはずだ。
ただ、どこまで自分の思考方法や生活態度を変化させることで、精神の安定を得ることが出来るようになるかを考えるのが、今の私のライフワークのようなものである。
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先週の日曜日に、NHKでうつ病患者の自殺とそれを防ごうとする医者の取り組みについての番組があった。
多くのブログで紹介されていたから、知っている人は多いと思う。
その中で、少しだけ私が気になったのは、うつ病や自殺の原因がはっきりと分かっている人だけを取材していた点で、私はうつ病患者の中には、普通に暮らしているけれど漠然とした不安に日々怯えている人も多く、そういう人の中にも自殺願望者がいるという現実を捉えて欲しかった。
取材を受けていた患者は原因がはっきりとしているから、それを取り除けば、有る程度はうつ病から開放される。
けれども、子供の頃の心の傷が癒されない人や、ストレスに対する耐性が極端に弱くなっている人などのうつ病に対しては、どんな手立てができるのか。
現実にはそういう人の方が、はるかに多いと思うのだが。
今後の番組に期待している。
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無理して酔って、はしゃごうとしていた頃がある。
少しも楽しくない酒宴。
お酒は親しい友と、酔っていることさえ忘れてしまうくらいに語り合うような、そんな酒がいい。
暗いと思われるのが嫌で、無理をして明るくしても、自分自身が明くなれなければ意味が無い。
何故か、明るく振舞っている人ほど無理をしているように見える。
時にははしゃぐことで、自分自身を明るい気持ちにさせることが出来るかも知れない。
だから無理をしてはしゃぐことも決して悪いことだとは思わない。
けれどもどうせなら家族の中で家族のためにはしゃぎたいものだ。
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昨日は眠れない夜を過ごした。
辛い。ただそれだけだった。本を読もうとしても活字が目に入らない。
昼間なら気を紛らわす手段もあるが、夜はただ波打つようにやってくる不安と戦うしかなかった。
今日もその不安がよぎる。
眠れない理由は分かっている。
そして時間が全てを解決してくれるだろう。
どんなに辛くても、辛さのせいで死ぬことは無い。
生きている証だと思えばいい。
人間の記憶というのは完全じゃないから、辛い思いも忘れることが出来るのだ。
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出張の往復時間を利用して2冊の本を読んだ。
一冊は、「生き方のツケがボケに出る」という本で、人との交流を避けたり、生きがいを無くしたりすると、老人性の認知症早くなりやすいというもの。
特に目新しい内容では無かったが、こういうのを読むと生きがいを持った老後を迎えられるように気持ちを明るくせねばという、啓発的な気持ちになるので、時々は読んだほうがよいなと思った。
二冊目は、柳田邦男の「犠牲(サクリファイス)」
まだ、半分読んだだけだが、神経症で自死した子息のことを書いた柳田氏の手記である。
神経症という地獄に陥っている息子の心に気付かなかった自分を客観的に振り返り、感情を極力抑えた口調で書かれた語り口が、余計に読むものの心にその苦悩を訴えかけている。
最後までまだ読んでいないので、柳田氏がどこまで心の病の地獄を理解されたかはまだ分からない。
その原因が何であったかを真に理解出来ない限り、心の地獄に苦しむ人を救うことは出来ないだろう。
ただ、柳田氏の子息は、私でさえ理解できないような壮絶な地獄を味わっていた。
自分たちが平穏に生きていられるのも、知らないところで世の人のために犠牲になっている人がいるおかげなのだ、という意味を込め、タルコフスキーの映画「サクリファイス」がこの本の題名になっている。
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MSNニュースに、遺伝子の9割以上が眠っているという大学教授の話が載っていた。
残りの9割を引き出せば、普通の人でも天才的な能力を発揮出来るという。
ただ、そういう遺伝子の目覚めを妨げるものとして、
・つらいことを避けようとする態度
・現状維持の気持ち
・勇気の欠如
・本能的欲求の抑制
・成長への意欲の欠如
という事例をあげてあったが、今の自分にまさに当てはまるではないか。
これらは、遺伝子の目覚めを妨げるという意味だけではなくて、生きがいそのものを妨げる要因だろう。
けれども、上記の全てが当てはまらなかった頃が私にもある。
その頃は今ほど生活が満たされていなかったから、自分の可能性を信じてただ突っ走っていた。
落ちればまた這い上がればいいと思っていた。
今、そのモチベーションが欠如してしまっている。
決して楽とは言えないが、最低限のものなら手に入る今の生活を死守しようとしている今の自分に、冒険する勇気も、失敗を恐れない前向きさも無い。
あらためて自分を振り返ってみて、日頃口に出している言葉と心の中の矛盾に気がついた。
ただ、突っ走っていた頃は私一人だったが、今は家族がいる。無鉄砲には走れない。
守るべきものは守りながらも、前進していく勇気を再び取り戻したい。
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瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談集を読んでいて、お坊さんの修業のことが出てきたのだが、人間は極限状態になると何らかの不思議な体験が出来るという。
ランナーズハイの状態に似たものだろうが、幻想的なものが見えたりもするらしい。
それを読んでいて、少し気持ちが楽になった。
今の自分は、修業中なのだ。そしてその苦しさを乗り越えた後には違った自分が生まれるのだ。と、そう思ったらまた元気がわいてきた。
相変わらず、しんどい毎日ではあるけれど。
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しんどい。
関西弁だが、今の心境を表すのにこの言葉しか浮かんでこない。
「つらい」「くるしい」「くたびれた」を、まとめたような言葉だけれど、ちょっと違う。
今日もよくがんばった。充実したという意味ではなく、とにかくがんばって生きてきたという感じだ。
そして、もう数時間すれば、また「しんどい」一日が始まる。
際限の無いその繰り返し。
そんな中での、たまのくつろぎのひと時が、大きな至福感をもたらしてくれる。
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会社で顔色が悪いと言われ、鏡を見たら、確かに疲れきった顔をしていた。
体はそれほど疲れていないのに、頭の中は混乱している。
後ろ向きな話ばかりするので、「大丈夫、何とかなりますよ」と、そばで聞いていた同僚に声をかけられた。
こういう時は、何もしない方が良い。
仕事が片付いた分けではないが、寒風の中を自転車で帰宅した。
今日、駄目な日は明日頑張ればいい。
なんとかなるさの気持ちで、今日一日に感謝しようと思う。
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景気が良くなっている。
そうなると、消費を引き出そうと、マスコミなども色々と購買意欲をそそるような記事を書くだろう。
最近誰かが、ユニクロのような誰もが着るようなスタイルを否定して、もっと個性的な服装をしようと書いていた。
服装で個性を出すことはもちろん大切なことだろうが、人間としての個性を豊かにすることの大切さをもっと訴えて欲しいと思う。
たまにしか着ない高価な服より、毎日のようにきている安物の服の方が長持ちしたりするものだ。
これからはまたバブル期のように、贅沢が格好いいというような記事が氾濫するようになるだろう。
贅沢にではなく、未来の地球のためになるようなことにお金を使うのが格好いいと、そんな記事を氾濫させて欲しいものだ。
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ここのところ眠れない日が続いている。
昨日は比較的に早く寝つけたと思ったら、早朝に目が覚めてしまった。
不眠症という言葉が心をよぎる。
物心ついたときから不眠症に悩まされ、克服していたはずの症状だが、その頃の辛さだけは忘れていない。
不安感と睡眠不足が比例するのだと思ったりすると益々不安になる。
良くない傾向だ。
そんな時は、外に出て気を紛らわせばよいのだろうが、生憎の雨。おまけに寒い。
とても充実した週末とは言えない一日になってしまった。
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最近、報道番組も殆ど見なくなった。
世の中に対する興味が無くなったのではなく、報道番組を見てもくつろげないからだ。
お金至上主義の世の中で、物欲に支配され正義感を無くしてしまった人たちが起こすさまざまな事件を見て、どうしてくつろげようか。
だから今は音楽を聴いている。
もちろん、いい大人が世の中のことを何も知らないというのは恥ずべきことでもあるので、世の中の起こっていることの事実だけは知っておきたいと思っているし、興味のあることなら詳しく書いた本なども読んでいる。
ただ、ゴシップ的なニュースは興味はあっても見ないようにしている。
今の報道番組にはゴシップ的な要素が多すぎように思える。
どこまでがゴシップでどこまでが報道かは区別が難しいが、少なくとも犯人の身内にインタビューすることなどは100%ゴシップだと思うのだが、そういうのが多すぎるような気がする。
ちょっと、偏屈に考えすぎだろうか。
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私は新聞を殆ど読まない。
新聞を読まないことを批評する人がいるが、私もどちらかといえば批評する方の口である。
なのに何故読まないのかと言えば、時間が無いということだが、本当に読みたかったら睡眠時間を削ってでも読むだろう。
いま、本当に知りたいのは大衆の言葉ではなく、一人一人の言葉。
物事を客観的に見るなんて本当には出来ないもの。どこかに主観が入ってしまう。
それはそれで仕方が無いことだと思っている。
だから、世の中を自分の価値観で見つめ、その価値観で見えるものが自分にとっての世の中であり、大衆の価値観に合わせる必要は無いと思う。
ただ、価値観と身勝手というのは違うものだという認識だけは持っていなくてはならないけれど。
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心の浮き沈みに翻弄されている自分がいる。
調子の良い時、沈んでいる時、それぞれに何故何故を繰り返して自分に問いかけるのだが、普遍的な要因は見つからない。
心とはそんなものなのだろう。
くたくたに疲れていても心は元気という時もあれば、体調が良いのに沈んでいる時もある。
ただ、元気だと過信してがんばり過ぎてしまうのは良くない。
今週は、ちょと沈んだ週始め。
これを引きずらないためにも早めに体を休める。
好きな本でも読みながら、おやすみなさい、です。
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今日は、病院に行くため、定時で退社。
診察を受け終わった後、ショッピングセンターなどをのぞいてみたが、何となく落ち着かない。
体が仕事を欲しているのだろうか。
ワーカホリックであった頃には戻りたくない。
仕事を欲するのであればよいが、仕事に心魂まで振り回されたくは無い。
ただ、生きることと仕事を分けてしまえば、仕事はただの苦役にしかならない。
収入を得るという目的だけではなくて、自分が残せるもの、それを作り出すことために魂を注ぎ込む。
そのためなら、ワーカホリックになるのもいいのかも知れない。
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自分自身の心の闇を、手探りでも表に出していくことで、見えてくるものがある。
理由が分からない不安も、見えてくればその対処の仕方も分かるかも知れない。
理由が分かっていると思っている不安も、もしかしたらもっと奥底に真の理由が見つかるかも知れない。
言葉でもいい、文章でもいい、表に出すことで頭の中が整理され、漠然としたものが明瞭になってくる。
心の中を表に出すのはとても難しいことだ。
けれども、表そうと思考することで心が活性化し、活性化することで不安が薄れたり気持ちが明るくなったりする。
時間に追われる日々の中で、ほんの少しの時間でもあれば、私は出来るだけ心の中を表に出していこうと思っている。
もっともっと自分の中を見たいのだ。
そして心の闇か抜け出したいのだ。
闇から完全に開放されることなど無いかも知れないが、少しでも明るい世界に生きたいのだ。
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大変だあ、という日々を送っている。
やらなければならないことや、問題となりそうなことが山積みとなって、自分に降りかかってくる。
けれども、その割には不安感が薄い。
その、理由がまるで分からない。
心が居直ってしまっているのか、脳内物質の分泌が何らかの体質の変化で活発になったのか、深層心理が働いて膨大に膨れ上がった不安感を覆い隠してしまっているのか。
この平常心は一体何なんだ。
ただ、何か、この困難な局面を乗り切らねばならないという使命感のようなものを感じている。
そして、駄目だったら白旗を揚げればいいやという居直りもある。
心が変わったのか、状況が心を変えたのかは、いまのところ良く分からない。
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うつ特有の緊張感が一時的に無くなったと思ったら、体調を壊してしまった。
体調がもともと良くはなかったところに、気持ちの緩みが生じて、過食をしたり、朝早くから車を洗ったりしたものだから、気が付いた時にはすでに遅く、腹痛と38度以上の熱が出ていた。
ただ、不思議なことに不安感があまりないのだ。
いつもの、日曜日の夕方の憂うつも今日は襲ってこない。
自分に対して欲張らないという気持ちが浸透してきたのだろうか。
ただ、淡々と生きてさえいれば、その間に苦しいことも楽しいこともあるだろう。
感動するのは自分であって他人ではない。他人が喜ばなくても、自分が感動できればそれでよい。
これまで、他人が感動することで満足感を得ようとしていた自分から脱皮して、本当に自分自身にとって感動できるものは何かを、もう一度見直してみたい。
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今日、パチンコ屋さんの前を通ったら、「託児所有り」との看板が立っていた。
パチンコをすることを決して悪いことだとは思わないが、パチンコ屋さんに子供をあずけてまでパチンコをするという姿には決して良い印象は抱けない。
一日中子育てと仕事に追われて、ストレスがたまるばかりだから、好きにさせてよ、という声が聞こえてくる。
子供を熱中症で死なせるよりはいいでしょうと、反論されそうだ。
けれども、それなら子供を生まなければいい。
子供を生んだ以上は、子供に愛情をかけてやるのが義務であるし、親がそれなりの犠牲を払わねばならないものだ。
愛情を十分に受けなかった子供たちが将来どれほど苦しまねばならないか理解して欲しい。
自戒を込めて、子供を持つ我々は精一杯の愛情を子供たちに与えてやるべきだと思う。
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私はいつの間にか、師走の12月が一年で一番嫌いな月になっていた。
理由ははっきりとしているのだが、この場で話すことでもない。
ただ、それだけでは無くて、人と接する機会が多くなるという理由もある。
皆が浮かれているときに沈んだ顔をしているのも気まずくて、つい調子を合わせて無理をしてしまうのだ。
これからは、そんな無理をしなくて、じっくりと人を観察してやろうと思った。
つい先日、飲み会があったのだが、そうやって適当に相槌を打ちながら人を観察していると面白い。
ずいぶんと無理をしている人もたくさんいるのだということもよく分かった。
自分自身を見ているようで恥ずかしいような気持ちにもなった。
そして、一番感じたのが、そうやって観察している私自身を誰も見ていないことだった。誰もが自分を見て欲しいと思っているから、人のことなんか見ていない。
だから、騒いでいる人や目立っている人に気後れする必要は無いのだ。
自分は自分でありさえすれば、それでいい。自分に出来ることを自分に出来る範囲でやれば、心に無理強いさせることもない。
人生というのは、人に楽しませてもらうものではなく、自分が楽しめばよいのだ。
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自分が何故幸せだと思えないのかがよく分からない。
家庭があって、贅沢までは出来ないが普通の暮らしが出来て、違法なことをしない限りは会社をクビになることもない。
妻が健康を損ねているという不幸な一面はあっても、養生していれば何とかはなっていく。
気持ち次第で、十分に幸福感を味わえる環境にあるのに、毎日を幸せだと思って暮らしてはいない。
幸福だとか不幸だとかは自分の心が作り出すものだとか、考え方次第で前向きな人生を送れるだとか、全部理屈では分かっていても、そう簡単には心を変えることが出来ない。
脳という臓器がそんな自分を作り出している。と、そんなことを考えていると益々自分を貶めるだけだ。
辛い一日であろうが、今日一日を生きていられたことに感謝する。
その気持ちを忘れなければ、時が全てを変えてくれるに違いない。
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前から調子が悪かったのだが、いよいよ動かなくなった。
今日は朝からパソコンの復旧に熱中していた。
使わなくなったパソコンの部品と壊れたパソコンの部品を交換し、ソフトのインストールのやり直しをする。
パソコンは文章を書くことと、インターネットくらいにしか使わないから、お金はあまりかけない。中古品や安い部品を組み合わせれば市価の何分の一かの価格で十分に使えるものになる。
以前に、これにはまったことがある。面白いのだ。あれこれいじくってパソコンが正常に起動した瞬間のわくわくとした感動。
最近はパソコンをいじくることが無くなっていたので、久しぶりにあの「わくわく」を味わった。
自作パソコンも動くまではいらいらしたり不安になったりするものだが、使えるようになったときの嬉しさがあるから熱中もし楽しみも出来る。
仕事も同じように楽しめば良いのだ。失敗すればパソコンの非では無い大きな損失も出るが、だからこそ完成するまでの長いプロセスをもっと楽しむことが出来るはずではないか。
と、そうは考えるのだが、いざその仕事に取り掛かると不安だけが心を覆ってしまう。
もう一度、仕事であのわくわくを味わいたいものだ。
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先週の週末に、「夜回り先生」こと水谷先生の特集をテレビで放映していた。
何度見ても、水谷先生はすごい人だと思う。
中には全面的に先生の活動に賛同していない人もいるかも知れない。正義感の強さに反発心を抱いている人もいるかも知れない。
けれども、私は純粋に水谷先生のことが好きである。本音と立前があろうが無かろうが、多くの子供達を救っているのは事実だと思う。子供達の心の叫びを、講演やマスコミなどで世の中に知らしめたという功績も大きいと思う。
それにしても、すごい数の子供達が、リストカットなどにより心の苦しみから逃れようとしている現実に、ただ驚くばかりだ。
助け合うという精神よりも、競争に勝つという原理の方が優先される世の中で、こんな悲劇が多く起こるのも、悲しいけれど現実なのだろう。
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休日には完全に近いくらいに、気持を切り替えることが出来るようになっているのだが、その逆はまるで駄目だ。
休日をくつろぎすぎるから、一気にストレスに対する抵抗力が落ちてしまうのだろう。
普通ならば、憂うつ感があっても午前中くらいで、午後にまでは引きずらないのだろうが、私の場合はとにかく一日中気分がのってこない。
憂うつな気分でも、手帳に記している業務項目をこなしていけば、そのうち気分がそちらの方に向かうはずだと思いながらも、ついつい及び腰になって仕事から逃げてしまう。
本当に困ったものだ。
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自転車が好きだからというのもあるが、結構楽しめたことを嬉しく思う。
好奇心をいつまでも持ち続けていたい。
楽しいことを、楽しめるという当たり前の気持を失いたく無い。
昨日は午前中30キロ以上を自転車で走り、壊れていたスピードメーターも取り替えた。部品を新調するとまた乗りたくなる。
好きなことのためならお金も惜しまず使いたい。そうすることで、元気を取り戻せるのなら安いものだ。
それに運動をすることで、気分が昂揚し憂うつな気分が無くなる。
そんなこんなで、週末の1日半を平和な気分で過ごせた。
夕方には週明けのことを考えて憂うつな気分が戻ってくるのだけれど、短い間でも十分に楽しい気分を味わえたことに感謝したい。
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心機一転しても、行動を起こさなければ何も変わらない、というようなことを大前研一が書いていたと、ある記事で読んだ。
心機一転はするが、同じ日常を繰り返している自分のことを思って苦笑いしてしまった。
何かの行動を起こそうとすると、自分を奮起させるためにも、いろいろな誓いを自分に立てようとする。
それで、いろいろと計画を立てたりするのだが、その計画が少しでも狂ったり、しばらくそのことに手を付けなかったりすると、もう挫折したりしている。
本当に自分の意志を変えずに、ものごとをやり遂げようとするには、心機一転ではなく、ときかくすぐに行動を起こすこと、そして少しつまずいても、一休止しても、そのことを継続すること。
それが何年、何十年かかろうが、行動することを続けていれば、目標の達成まではいかなくても、自分自身に何らかの変化は起きているはずだ。
心機一転せず、とにかく行動することから始めよう。
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時間なんて、効率よく使えばいくらでも作り出せそうな気がするのに、自分の不安感や憂うつ感と戦うために多くを費やし、自分が楽しむ時間を持てないでいる。
心の切り替えがうまく出来無いのだろう。
だからと言って、心の切り替えをうまくやろうとしても、却って迷いが生じてしまうもの。
とにかく身体を動かす。
逃げないで突き進もうと思えば思うほど足がすくんで前へ進めない。
けれども、心は逃げても身体を一歩前に進めれば、心は後からでもついてくる。
一見逆のように見えるが、心が元気な人は気持を起こせば身体が動く。
心が元気で無い人は、身体を動かせば心も動くのだ、と思う。
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私の家は浄土真宗だが、信仰心そのものは持たずに生きてきた。
だから、これまでは信仰心を持った人を一種の逃避だと思っていたようなところもある。
けれども、仏教にしてもキリスト教にしても、その中には私など想像も及ばないすばらしい教えがある。
神という存在の有無を論じるのではなく、人は誰もが心の奥底に神的なものを持っているのだと思う。
それを良い意味で信仰すると、心にもきっと良いものだと思う。
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風呂を沸かしたり、食器を洗ったり、このブログを書いている間に洗濯をしたりして過ごしている。
居間で子供達も面々に好きなことをやりながら、母親のいない週末を過ごしている。
昨日までの不安な気持ちが嘘のように、今はくつろいでいる。
そのうちに眠くなって、すうーっと眠りに入れたらどんなにいいだろう。
そして早朝に目覚め、自転車で汗をかく。そんな平凡な休日を過ごせることが今の私にとっては夢でもある。
明日、妻が退院して戻ってくる予定だ。
退院しても普通の生活が戻れるわけでは無いので、当面は私や子供達が協力し合わねばならないが、会社の帰りの病院通いだけでも無くなってほっとする。
仕事では、見通しの立たない仕事に追われ、苦しい日々が続いているが、「なんとかなるさ」の気持に切り替えることが出来れば、大したことでは無いような気がする。
全ては自分の心次第だと、どんな本を読んでもそう書いてある。
ただ、心がけ一つで、風邪を防止出来ても、引いてしまった風邪は心で治せないように、心がけ一つで不安を消し去ることはなかなか難しい。
難しいけれど、風邪のように自然には治ってくれないかも知れないから、心の力も必要なのだと思っている。。
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家の方角や庭に植えてある木がその家の住民に不幸をもたらしている、というような内容のバライティー番組を見ていて不安になった。
こういうのを不安がるのを、縁起恐怖症と言ったりするのだが、この数年不運なことが続いているので、どうしてもそういう迷信めいたことが気になって仕方がない。
そういえば、家のトイレの位置や仏間の方角が悪いのではないだろうか、などとすぐに思ってしまう。
こういう縁起をかつぐ人は、自ら不運を呼んでいるようなもので、縁起なんて全然気にしないというような人は、平和そうに暮らしている人が多い気もする。
そういうことを、理屈では理解していても、なかなか割り切れない自分ではある。
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もう帰るのか、という冷たい視線を向けられながら、退社している。
と、思っているのは、単なる自分の思い込みだろうか。
月末の、忙しい時に、私は定時か少しの残業で帰る。
以前の自分なら考えられないことだが、今一番優先せねばならないのは、自分の家族と自分を守ることだと、自分自身に言い聞かせている。
前は、引っ越しをする日に、忙しいからと言って、全部妻にやらせていた。
何よりも、仕事を優先し、子育ても犠牲にしてきた。
以前の自分は、どんな事情があろうとも、定時に退社する人を会社にとって不要な人と決めつけていた。
それほど、身も心も全て会社の為に尽くしてきて、得たものも多いかも知れないが失ったものも大きい。
良い悪いは別にして、落ち着いたら、もう少し客観的に自分自身と仕事の関係を見つめ直してみたい。
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会社では、仕事できりがついても、なかなか帰れなかったのが、人の目を気にせず帰れている。
たとえ身内であっても、人に無理をお願いするということが出来なかったのが、今は出来ている。
適当に物事を片づけるということに罪悪感を感じていたのが、罪悪感は感じながらも適当にやっている。
人に迷惑をかければ、いつかその人が困ったときに喜んで助けてあげることが出来るだろう。
そう思えば、人に甘えることも苦にならなくなるような気がする。
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妻の入院が長引きそうな様子で、どんどんと深みに入り込んでいきそうな気がするが、だからこそ自分が生きている価値があるのだと、自分を叱咤激励している。
人に頼る柔軟性も大切だし、人に甘えない厳しさも必要だと思う。
母親がいない状態で、子供達も相当にストレスがたまっているようだが、そんな時こそ、父親の存在感を見せねばならない。
まあ、気負いすぎるのもよくないので、その時その時を精一杯に生きていくしかないのだろう。
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今日は、会社の同僚が最近調子が良くなさそうですねと、声をかけてくれた。
仕事以外のことで、人とゆっくりとしゃべったのは久しぶりのような気がする。
コミュニケーションは、場合によっては、すごく負担になることもあるが、心の健康のためにも、とても大切なことだと思う。
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毎日、自分の心を見つめるためにも、少しでも書きたいと思っているが、妻の入院で今週は、多くは書けないかも知れない。
点滴している姿などを見ていたら、自分がしっかしせねば、家族が潰れてしまうと思った。
自分にストレスをかけるという意味ではなく、自分が、自分だけじゃなく人のためにも生きているのだという意識を持って、しっかりと生きていきたいと、そう思った。
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午前中に憂うつ感が強く、夕方頃から気分が少し楽になっていくという、うつ病特有の症状が私には無く、いつとはなく憂うつ感が表れては消えするので、医者からはうつ病では無いと言われている。
抑うつ神経症とか境界性人格障害とかの範疇にいるのかも知れない。いずれにしても、憂うつ感につきまとわれるいう点では同じことだが、抑うつ神経症を20年も患っている方のブログもあるようで、そう言う点では心の風邪と言われるうつ病よりもやっかいなのかも知れない。
憂うつ感がこのままいつまでも消えないのではないかという不安が、さらに憂うつ感を大きくしているようなところもあり、不安の要因に対する対処の仕方を自分の力で掴んでいくしか方法は無いような気がする。
ただし、それはあくまで私の場合であり、人それぞれだから、専門医に診てもらったり、セカンド・オピニオン(主治医以外の医師の意見)を求めるなどして、自分の状態をよく知ることが大切だと思う。
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うつ病を完治された人がインターネットなどを通して、様々な活動されているのを見ると本当にありがたいことだと思う。
うつ病の辛さは、うつ病を経験した人でないと、なかなか理解してもらえない。
そのうつ病の辛さから解放された後で、その時のことは思い出したくないというのが心情だろうが、完治するまでの経験を通して、現在うつ病に苦しんでいる人の為に少しでも役立ちたいと活動されている方には、本当に敬意を表する。
うつ病を経験することで学ぶことはたくさんある。
うつ病を通して学ぶことは、人生を学ぶことでもあるのだと思う。
うつ病は再発しやすい病気であり、その予防の為には健康であることや、物事に対する捉え方などの心がけも必要になってくるのだろう。
今はそのために学んでいるのだと思い、うつ病の人たちの為に活動を行っておられる方々に感謝したい。
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そう書くと何となく悲壮感が漂ってしまうが、気持が沈んでいても、辛いことがあっても、死んでいればそんな気持は味わえないのだ。と、そう思うと生きているということだけで幸せなのかも知れない。
死んだ方がよほどましと思うこともあるが、それは死んでいないからであって、本当に死を目の前にしたらそんな苦しみなど消し飛んでしまっているだろう。
限りある人生だから、楽しく生きることが出来ればそれに越したことはないが、苦しむことも生きている証。
今日は先の見込みさえ見えない不安の渦中で、「ああ、自分は生きているのだ」と思ったら、少し嬉しい気がした。
生きている実感を味わえるのは、こんな時なのかも知れない。
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そんな願望を心の中から完全に消し去ることが出来たら、すごく楽になれそうな気がする。
もう、そんな虚栄心など持つ必要は無いのだと、いくら自分に言い聞かせても、ちょっとした人の言葉や対応で落ち込んだり、時には慢心したりする。
そんな自分だから、人のことを心から尊敬出来なかったり、不必要に自分と比べたりしている。
自分を変えたいと本気で思っているのだが、本当に自分を変えるためには、他人の目ではなく自分の目で自分自身が見えるようになれないと、絶対に変われないだろう。
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ただ、午後くらいになるといつもの仕事のペースが戻ってきて、前日まで休んでいる分元気だったりもする。
私もそうありたいのだが、今日は未だに憂うつな気分が続いている。
そういう気分の波がある原因がどこにあるのか、いろいろと考えてみるのだが、これが分からない。
睡眠時間、休息時間、飲酒、食事、前日の出来事、運動量、そういった要素との関連性をいろいろと探ってみるのだが、決定的な要因というのは見つからない。
勿論、ストレスが大きな要因であることは間違いないのだが、同じストレスでも心の状態によって軽く感じたり重く感じたりするのだから、それが全てではないだろう。
そうなるとやはり脳の機能障害なのだろうか。
天気の悪い日に古傷が痛んだりするのと同じように、何らかの身体的要因が憂うつを引き起こしているのだろうか。
重症のうつ病は脳の機能障害であることは間違いないことだと思うが、そこから後のことが未だよく分からない。
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こんな暑くも寒くも無い季節は、車の中で買い物が終わるのを待っている。
いつもなら、本を持参して車の中で読んでいるのだが、たまたま今日は持ってこなかったため、ぼんやりと時間を過ごしていた。
思ったよりも買い物が長く、結局2時間弱待たされた。
長く何もしないでいると、不安な気持ちがよぎったり、すぐにいらいらしたりするので、とにかく何かをして気を紛らわそうとするのだが、このところ元気が無かったせいか、ただぼんやりと窓に降る雨を見つめていた。
時折襲ってくる仕事への不安に冷や汗をかきながらも、その時ふと、何もしないでいる時間も必要なんじゃないかと思った。
そして今、心は昨日よりも落ち着いている。
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以前、ある人にうつ病の薬について知ったかぶり的な発言をし、そのことでその人の心を傷つけていたことを、ある人から聞き、ショックを受けた。
うつ病という病気を軽々しく扱ってはならないことを、自分自身が一番よく知っているはずなのに、本やインターネットでの知識の受け売りを軽々しく口にしていた自分を反省している。
薬の効果というのは、人それぞれであって、何百人も何千人も診ている医者でさえ処方が難しいと思われるものを、素人判断などもってのほか。
酒好きが、酒を飲めない人に、お前は異常だと避難する愚考と同じではないか。
ただ、世の中には、本当に患者のことを考えていない医者もいることは事実であり、そんな医者から自分を守ることも大切だとは思っている。ただ、そのことについては当人が判断することであり、私がアドバイスすることではない。
私はこのブログを書いている目的が、うつ病に対しての率直な考えを言葉にすることであって、意見するものでは無いことを自戒せねばならない。
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今日は一日雨で自転車にも乗れず、気晴らしにと本屋に行って来た。
けれども、たったそれだけのことなのに、ひどく疲れている自分を感じた。
帰りの車の中で、仕事の不安やらが心をよぎり、いたたまれない気持になる。
やれやれ、もう今から週明けのことを考えている。
よくよく考えてみれば、自分のストレスや不安の元は人にあるのだろうな。
本屋好きな自分が、あまり本屋には行かず、通販で購入するようになったのも、そんなところに起因するのかも知れない。(図書館では何故か落ち着くのだけれど)
ただ、人嫌いじゃ無いことは確かだと思う。
メールやコメントをいただくのは、本当に嬉しいし、仕事以外での人との会話も楽しく感じる(あくまで、好意の持てる人との対話だけれど)。
まあ、無理やり人を好きにならなくても、親しい人が数人いて、自然とふれあい、ゆっくりとした老後が過せるようになったら、それで極楽なような気がする。
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大企業とか公務員の場合は年間120日くらいの休日があるから、3日に1日の割合で休んでいることになる。
中小零細の場合は年間の休日が80日にも満たない所もある。
そして、収入はといえば、休日の多さに反比例するように大企業や公務員の方が良い。
ただ、労働時間に関して言えば、休日が120日以上あっても、名目だけで実際は年間4000時間近く働いている人もいる。
一時、ワークシェアリングという言葉が流行ったが、今では殆ど聞かなくなった。
私を含め、世の親たちは、そんな世の中の不公平・不平等の犠牲にしたくない一心で子供達にせっせと自分の命を切り売りしているが、子供達は平然とそれを受け止めているようだ。
私は年間休日が80日に満たなくても、収入が公務員の半分であっても、明るさを忘れないような人が大好きだし、子供達にはそんな人間になって欲しいのだが、実際にやっていることは、明るさを忘れ苦い顔をしながら自分の命をすり減らしている。
たまの3連休を迎えるにあたって、つまらないことばかり考えている。
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帰宅時にロッカールームで軽い会話をしていたら、その人が、日曜日の朝から翌日の事を考えて憂うつな気分になるとか、朝早くから目が覚めて仕事の事が気になって、その後眠れなくなるとか言う。
まさにうつ病の兆候ではないか。
私は、とにかく休まないと、朝起き出せなくなったら大変ですよ、とだけは言ったが、本人はうつ病の兆候だとは気付いていないようだった。
背中が痛いとか、手足がしびれるというような話なら、内科を受診した方がよいとか整形外科に行ってみてはというアドバイスも出来るが、うつ病の場合はそういうわけにはいかない。
本人が心の病に偏見を持っていたりすると、助言のつもりが相手を傷つけてしまうことだってある。
大企業などでは、心の病に関してカウンセラーをおいたり、講習会などを開いて管理監督者への啓蒙を行ったりしているが、本心ではうつ病や神経症の人を弱者として見ている人が未だに多いのではないだろうか。
それが私の偏見ならいいのだが。
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プロジェクトXなどで、何度も何度も苦境にさらされて、それでもあきらめずに大きな事を成し遂げる人がいる。
そういのを見るとすごく感動し、自分にも小さなことだが、そういう苦境を乗り越えてきたこともあるなと、懐かしく思うことがある。
それほど、今は苦境に対する忍耐強さや、苦境を跳ね返す力が無くなっている。
「ちくしょう」とか、「負けてたまるか」という言葉が心の中に出てこなくなった。
そういう時に限って悪いことばかりが続くように思える。
思っている通りに、自分の人生が動いていくということは、前にも書いたが、本当に悲観的になればなるほど、悪い方にものごとが動いていくような気がする。
心の変化なのか、脳の機能が衰えているのか、やはり、その辺のところは未だよく分からない。
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成人病のように、自分自身の不摂生でなる病気は、意志さえ強く持てば、治癒したり改善することが出来る。
けれども、原因の分からない病気や、遺伝性の病気など、本人に何ら責任の無い病気に苦しんでいる人には、本当に同情する。
強者がいて弱者いるのは、生き物の世界では当たり前のことだが、強者が弱者を助けることが出来るのは人間だけが持つすばらしい特権だと思う。
今、医療制度の改革により、そういった本人に責任のない病気にまで医療費の補助の減額が成された。
うつ病については、心の病であるだけに、本人に責任が有るのか無いのかはよく分からないが、世の中が益々弱肉強食を是認する傾向にある中で、その病と闘い生き残っていかねばならないのだ。
がんばろうとすれば逆に悪化する病だけに、やっかいなことではある。
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今までだって、追いつめられたことは何度もあった。けれどもその度に何とかなってきた。何ともならなければ、今頃生きてはいない。
けれども今は、本当に追いつめられた状況でも何でもない。ただ、心が怯えているだけなのだ。
心というのは、よくできていて、本当に追いつめられた状況になれば、始めは動揺するが、やがて冷静さを取り戻し、何らかの対応策をとろうと活発に思考し始める。そしてそれに立ち向かおうとする勇気も出てくるものだ。
ただ、そんな状況が立て続けに起こったり継続すると、心は疲労し、やがて「うつ」という病魔が忍び込んでくる。
心が疲労すれば「なんとかなるさ」が「なんともならないのでは」に変わってしまう。
かといって、心を休ませ過ぎても、ストレスに対する耐性が虚弱になってしまう。
自分が今何をしなければならないかを考え、そして行動する。
その結果がどうであれ、「なんとかなるさ」の気持でいればなんとかなっていくものだと思う。
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日曜日の朝から、翌週の仕事のことを考えて怯えている。
そんな週末が何度かあった。
金曜日の夜はさっさと眠って、土曜日をめいっぱい楽しむ。
さて、この日曜日はどんな気分で過ごせるのだろう。
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例えば、家族で一泊の旅行をすると、そのお金でハードディスクビデオが買える。
たった二日間の旅行より、何年も使える電化製品の方が価値があると思っていた。
だからという分けでもないが、子供が生まれてから一度も家族そろっての一泊旅行をしたことが無い。
年に何回かの帰省が、家族旅行のようなものだから、それでいいじゃないかと思っていた。
家族の誰もが旅行をしたいと言わないから、たぶんそれはそれでいいのだろうが、ちょっとした遠出でも子供達はわくわくしている。口には出さないけれど(口に出しにくい雰囲気を私が持っているのからかも知れないが)家族で楽しむことを心待ちにしているのかも知れない。
何年も使える電化製品よりも、一生残っているだろう思い出の方が価値があるのかも知れないと、そんな当たり前のことを真面目に考えるようになった。
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あるブログに書いてあったのですが、夢というのは自分にとってプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともあると。
プラス面は分かるのですが、マイナス面とは、夢を抱いているが為に、その夢が実現しなかったり遠ざかったりすることへの恐怖や不安感に苦しめられるということです。
私の場合は、ある時はすごくプラスに働き、日々の活力になっていたのですが、今はどちらかというとマイナスに働いています。
夢など抱かずに、流されるままに生きていればもっと楽に生きることが出来ただろうにと思うこともあります。
けれども、死ぬまで夢は捨てないでいたいと、やはり思っています。
自分がここまでだと思ったら、本当に何もかもが終わってしまいそうな気がするからです。
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今日、定年退職をした後も引き続き自分の技術を生かして働いておられる方と話していて、聞いた言葉だ。
ごくありきたりな言葉なのだが、そういう人から直に聞くと結構説得力がある。
当時、花形業種で無かった会社に仕方なく入った人が、今では高収入を得ていたり、早く出世をして管理職になり、その後不況で出向させられたが、なんでもこなせねばならない中小企業では使い物にならずに今は無職でぶらぶらしている人など、様々な人たちを見てきたという。
世襲制で一生安泰と高収入を約束させられていたような、特定郵便局の局長も郵政の民営化でどうなるか分からない。
自身の人生も、後になって思い出せば、楽をしたことは殆ど忘れていて、苦労をしたこと、そしてそれを乗り越えてきたことが良い思い出として記憶に残っている。
だから、しんどくても今を大切に生きなさいと、その方から教えられた。
自分の成功体験や自慢話をするわけでなく、淡々と話されるその方は、ごく普通の人。
私は、どんな成功者よりも、そういう人の言葉の方がより重く心に浸透するような気がした。
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万博、テーマパークと、よく懲りずに行くものだと我ながら苦笑してしまうが、いつも気難しい顔ばかりしていないで家族と過ごす時間も大切にしたいと思ったからだ。
が、行ってみた感想は、ただあきれてしまった、だ。
とにかくお金がかかる。混雑していたので待ち時間が長くそれで時間が保てたが、混雑していなければ数十分で大枚が飛んでしまっていただろう。
アジアの後進国の労働者が一ヶ月働いてようやく手にすることのできる程のお金を、まだ十歳にも見たない子供達にどんどんとつぎ込むことの出来る金満国の現状を見たという感じだ。
遊びに来ている人は、それが当たり前のように、ニコニコとビデオなどを撮りながら楽しんでいたが、私は複雑な気持ちだった。
中にはパートに出て働いているお母さんもいただろうが、時間給と同じくらいのお金が、たった数分乗るだけで消えてしまう。そんな遊びに疑問を抱かなかったのだろうか?
楽しんでいる時間くらいはケチケチしたくないという気持ちは私にもあったが、それよりも一緒になってゲームをしたり、もの作りをしたり、料理をこしらえたり、そんなことの方がよほど有意義で楽しい時間が過ごせるんじゃないだろうか。
ただ、お父さんたちも疲れているのかも知れない。
遊ぶのにいろんな準備をするよりも、お金だけ払って手っ取り早く子供を喜ばせてやるには、こういうのが一番楽でいい。
確かに子供達は興奮して楽しんでいたし。
けれども何か釈然としない気持ちを抱きながらテーマパークを後にした。
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潰すには気力も体力も必要だが、少し見通しがたってくると心が軽くなって来るのがわかる。
ただ、それも一時のことであって、別の苦がじわじわと頭の中を占め始める。
それでまた、その苦を潰そうとがんばる。
そのことの繰り返しで浮いたり沈んだりの日々が続く。
逃げ出すことが可能なものなら逃げた方がよい。そして別のところでがんばればいいのだ。
けれども、逃げ出せないところにいるときは、そうやって「苦」を一つ一つ潰していくしかない。潰した後から次の苦がやってくるまでの間だけでも「楽」を味わえるから。
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孵化したばかりの雛が、最初に見た動くものを親と思いこむのは、遺伝子の仕業らしい。遺伝子にはあまり複雑すぎる情報は記録出来ないので、そういうふうに単純化された状態でプログラムされているらしい。
うつ病はひどくなると自分を殺そうとするまでになる恐ろしい病気だが、これも遺伝子にインプットされているプログラムだとしたら、私は遺伝子と戦わねばならないことになる。
遺伝子は利己的で、「顔じゃないよ、心だよ」なんてことは思わないらしい。
美しい雄鳥に雌が寄りついてくるように、遺伝子はごく現実的な判断をする。
不幸やストレスに立ち向かうことの出来ない人間は不要品と判断し、自らを抹殺しようとする。
「そんなバカな」と思われるだろうか、「そんなバカな」という題名の本にそのようなニュアンスのことが書いてある。動物行動学者が書いた本である。
ただ、人間だけは、遺伝子のプログラムに反抗できる唯一の動物だと思っている。
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その本によると、遺伝子が主体で、我々人間や動物は遺伝子の乗り物(グーグル)であるという。
読み進んでいると、どんどんと興味の深淵にはまりこんでしまい、眠れなくなってしまうので、控えながら読んでいる。
また、読み終えたら、面白い所など抜粋したいと思う。
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記憶力は頭を使うほどアップするという記事がMSNニュースに載っていた。
そして、「うつ病患者は海馬の神経細胞の新生が少なくなっており、」その新生を増やすためのシータ波を利用してやると、うつ病の治療に効果があるかも知れないとも書いてあった。
記憶力の悪さは、自分自身の集中力の無さが原因だと思っていたが、これも脳の機能障害だろうか。
確かに心が元気なときは、普段はなかなか思い浮かばないような人の名前も、すっと出てくることがある。元気の無いときは簡単な漢字さえ忘れてしまっていたりする。
心が憂うつになるのも困るが、ものが憶えられなくなることはもっと困る。
丸暗記しようとすると、すぐに眠くなってしまうのだが、自分なりに工夫をして、英単語や難解な漢字なんかをもっと憶えるように心がけねばと思っている。
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セロトニンとかセロトニン神経という言葉はうつ病の人にとっては馴染みのものだと思うが、このセロトニン神経について知れば知るほど面白く希望が見えてくる。
うつ病にしても神経症にしても、セロトニン神経が深く関わっていることは間違いのない事実だが、セロトニン神経を活性化させるために自分に最も適した方法を見つけることが出来れば、少なくとも今よりは快適な気分で生きて行くことが出来ると思う。
例えば、座禅をするということでセロトニン神経が活性化される。
ヨガもだが、それらを行っているときの腹式呼吸が良いらしい。
サイクリングやウォーキングなどのリズミカルな運動も良いようだ。
それに、セロトニンの原料となるトリプトファンという物質はバナナや納豆などに豊富に含まれているらしい。それらを多く取ることも良いようだ。
私も理系の人間だから、そういう理屈が大好きで、すぐにでも実行したくなるのだが、現に今、会社への往復はサイクリングで、納豆は毎日食べており、リズミカルな運動であるガムも殆ど終日噛んでいる(良くないこととは思いつつ目立たないように噛んでいる)。
これだけやれば、セロトニン神経も相当に活性化しているはずだが、それでも納豆嫌いで車しか乗らないような人より元気が無い。
酒をいくら飲んでも、甘いものをいくら食べても、成人病にならない人がいるように、やはり、体質なんだろう。
だから、人の数倍、セロトニンを活性化させるためのことをやらねばならないのかも知れない。
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NHK特集で、タクシー業界の規制緩和による運転手の貧窮を報道していたが、日本の世情の二極化が益々進んでいるようだ。
政治が悪いとか世の中が悪いとか、誰かのせいにしても、誰も助けてくれないし、自分が慰むわけでもない。
うつ病とか神経症とかになりやすい人には遺伝子が深く関わっているという説もあるようだから、それが事実なら生まれつきハンディを背負っていることになる。
また、今回の郵政民営化の法案と同時に出されていた、精神衛生法第32条の見直しも可決されるようになるだろうから、うつ病患者にとっては経済的負担も大きくなり、弱者という立場に立てば、益々苦しい状態になっていくだろう。
やはり、頼りに出来るのは自分しかいないのである。
かといって自分を追いつめてしまえば益々窮地に追い込まれるだけである。
どうすればいいのだと言いたくなるが、このヤマイをしっかりと知ることが大切なのだろうと思う。
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過信してはいけないのだろうが、身体の方はずいぶんと健康になった。
心身共にすこやかなことを、健康と言うようだが、心の方はもう少しというところだろうか。
無欲に徹することと、週に何回かの運動で、外傷意外は殆ど無くなった。
美味しいものを欲しいだけ食べ、飲みたいだけ飲んで酔っぱらい、買いたいもの買い漁るような暮らしをしたいとは、あまり思わなくなった。
自分の心に嘘をついているかも知れないから、本心だとは言い切れないが、欲望が難なく満たされた時の虚無感に比べれば、欲望を減らし心身共に軽くなった状態の方がずっといいからだろう。
健康であることが、最大の充足感だと最近になって気付いた。
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成功した人がよく口にする言葉だ。
自分はついてないと思いこむと、次々と悪いことが重なる。
かと言って、ついていると思いこんでも、なかなか良いことは起こらない。
と、こういう考え方をする人間は、まさに不幸な境遇を背負い込んだまま人生を過ごしてしまうのだろう。
不運や失敗を次の成功のための糧と考えて、次の一歩を踏み出せるような人は、それなりに充実した人生を歩んでいる。
打たれ強いというような人がそうだ。
ただ、体力や気力というのには個人差があって、精根尽き果てると不安になったり怒りっぽくもなったりするものだ。
自分の能力にあわせて、疲れたときは休み、元気の良いときは前向きに物事を考える。
無理をして大きな運を呼び込もうとするよりも、マイペースで小さな運に感謝する。
それだけでも、良い人生が送れるのではないだろうか。。
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毎日入ってくる、すごい量の迷惑メールを受信拒否アドレスに追加するという単調な作業をしていると、何となく心が落ち着いてきた。
誰が見ても迷惑だとしか思えないメールを、よくこれだけ送ってくるものだと苦笑するが、何らかのソフトを使って無作為に送っているのだろうから発信者の方は痛くも痒くもないのだろうが、こちらは迷惑この上ない。
プロバイダの自動選別機能があるが、必要なメールまで見落とすのが心配だったので、いちいち受信拒否アドレスを登録していたのだ。
この、受信拒否アドレスの登録は全くの単調作業だが、かといって無心でやれる分けではないので、心が乱れている時などには、気持の転換をはかるのにちょうどいい。
無理矢理、気分の落ち込みや嫌な思いを打ち消そうとするよりは、何か心に負担のかからない他のことをする方がよい。
ただ、迷惑メールに関してはもう限界だ。プロバイダの迷惑メールの自動選別機能を利用することにした。
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今日は、体調の悪さ等でなかなかやる気が起こらずに困ったが、取り敢えずここまではやろうと決め、仕事に取り組むと、そのうちそちらの方に気持が集中して、何とか業務をこなしていた。
仕事は楽しんでやれるのが一番いいが、仕事が趣味という人も、仕方無しに仕事をしている人も、仕事をしている最中の心中は、そうは変わらないのではないかと思う。
ただ、仕事が一区切りついた時に、その先に希望を感じるか不安を感じるかの違いが、その人の幸不幸を決めるような気がする。
今の私は、その先に不安ばかりを感じている。
元気だった頃の私は、希望(向上心)で満たされていた。
やっている、中身はたいして変わらないのにだ。
やはり幸不幸は自分で作るものなのだろう。
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アメリカ人の引っ越し回数の平均が7回から8回くらいだと聞いて驚いていたのだが、自分自身の引っ越し回数を数えてみると9回にもなる。
同じ所、つまりは実家に一度戻っているので、住居としては8回変えていることになる。
金融関係などの転勤の多い人は別として、日本人の平均はそんなに多くは無いだろう。
今の住居に引っ越してから10年近くが経つが、こんなに長く同じ所に留まっているのは実家で過ごした18年以来だ。
マンネリズム。
自分が今、まだ闇から抜け出せないでいるのは、そんなところにあるのかも知れない。
環境を変えることで、気分も変わる。
逆に環境が変わることで、ストレスとなり気分が沈むこともある。
私の場合は環境が変わることで、元気を取り戻してきた。
これまで、何度か心の闇から脱するために、自分のおかれた環境を変えてきたような気がする。
これから初めて環境を変えずに自分を変えていくことに挑戦していくことになるだろう。
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今日、定年されて充実した日々をおくっておられる年配の方に話を聞いた。
定年になる前は仕事で色々と苦労もされたそうだが、定年になってほっとし、これで楽になれると何もしない日々を過ごされていた。
けれども何もしないでいるのは、確かに気楽であったが、次第にそのことに慣れてくると、「楽」という感覚が無くなってきて、そのうち毎日がつまらない日々に思えてきたそうだ。
その時に初めて、「苦労」をすることで、「楽しい」とか「やりがい」とかの感覚があるのだということを体感されたと言う。
ごく当たり前の話なのだが、そのことを実感として気付くことが出来るのは、そういう経験をしてみてからだろう。
早くリタイアをして、悠々自適の生活をしたいと、自分自身にこぼしている私にしても同じだと思う。
そして、その方は今、新しい仕事に就いて「苦労」もしながら「楽しい」人生を歩んでおられる。
また明日から緊張した日々が続く。
けれども、そんな日々があるからこそ、充実した休日がおくれるのだろう。
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昨日まで、へとへとになるまで働いていたせいか、今日は元気がよい。
気力も体力もまだ残っていたのかと驚くくらいに仕事に没頭していた。
けれども、元気な頃の自分に戻ったかといえば、そうではなく、ずっとびくびくしながら仕事をしていた。
ただ、逃げ場の無い状況だから仕方なくやっていたというのが実状だ。
ところが精根尽き果てるほど何かをした後は、心の開放感が訪れるようだ。
まだけりがついてわけでもなく、見通しがたったわけでも無いが、とにかく一休止。
その一休止を気持ちよく楽しんでいる。
仕事は嫌でも一生懸命にやる。規則正しい生活を守る。そして休息もしっかりととる。
その意志を捨てずに乗り切っていきたい。
明日また、翌日からの仕事を思って落ち込んだとしても、それも人生の一行程だと思えばよい。
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プロの書き手じゃ無いものでも、旅の本だけはよく読む。
むしろ、素人の書いたものの方が面白いと思うことが多い。
ありのままの出来事を脚色せずに書いたものの方が、変に先を予感させたり、期待を持たせたりするものより面白い。
そういう率直な紀行文を読んでいると、作者に同化し、自分が旅をしているような気持になれる。
名所などにはあまり興味がない。
知らない土地で、普通の人が普通の暮らしをしている風景を見るだけで、何故かわくわくしたり、ほっとしたりするものだ。
そして自分も旅をしたくて、たまらなくなる。
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具体的な目標があったり、待ち遠しいと思うような予定があったりすると、生き生きとしてくるものだ。
だから、本当にどん底になったときに、妙に明るくなれたりするのも、どん底の先には希望しか無いと思うからだろう。
毎日が同じ事の繰り返しで、その繰り返しを延々と続けていかねばならないと思ってしまったら、そんな地獄は無い。
拷問の一つに、そういう意味も無く同じ事を延々とやらせる方法があるそうだが、確かに辛いに違いない。
うつ病も拷問みたいなもので、先に希望を持とうとしても、持つだけの心が生じないのだ。
ただ、うつ病が治った後の幸福感と、生きていることだけでありがたいと思える感謝の気持ちは、何にも代え難いものがある。
だから、漫然と生きているよりも、幸せなのかも知れない。
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家庭サービスにと、外食をしたことは昨日書いたが、その時に飲んだ酒がさめてきた時に、不安感が戻ってきた。
アルコールによって脳内の物質の分泌に変化が起こるのか、もしくは無意識に不安感を抑えようとする心の作用が酔うことで止まってしまい、さめてからも元に戻らないせいなのか。
インターネットを見ていると、気を紛らわすために飲むアルコールがストレスやうつ病を助長する要因となり得るとも書いてある。
昨日の酒は、たまには家族に笑顔で接したいと思って、何気なく飲んだもの。
辛いから飲んだ分けでは無いのだが、やっぱり酒は止めとこう。
大した量も飲んでないのに、もともと酒に弱い体質だから、少しの量でも肝臓が悲鳴をあげているのかも知れない。
それにしてもやはり生真面目と言おうか何と言おうか、一生懸命、心の状態を分析しようとしている自分に苦笑してしまう。
辛いなあと思ったら単純に苦しみ、面白いなあと思ったら単純に楽しむ。
そんな心じゃないと、いつまでも自分と仲良くなれないのかも知れない。
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夕食の時、私は殆どしゃべらずに黙々と食べる。
以前は、少しだけれど冗談も言っていた。
夕食を私が作って、家庭サービスをすることもあった。
料理は好きだったから、私自身も楽しんでいた。
喜怒哀楽のない今の私を、家族はどう思っているのだろう。
そう思うと、なんとなくすまない気がして、外食に誘ったのだ。
私は喧嘩の絶えない家庭に育ったから、明るい家庭にしようと努めた。
だから、私を除いて、楽しく雑談しながら食べている家族を見ながらほっとすると同時に、自分しか見えていない私自身に嫌悪をおぼえる。
いつも喧嘩ばかりしていた両親にも、今は感謝している。子供達を育てることに必死だったのだろう。
そして、喜怒哀楽をいっぱい表してくれる子供達にも感謝している。
外で元気を出そうと努める分だけ、家族にも元気を示さねばならないのだ。
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選挙演説で、ある党の党首が、日本の収入格差が広がっていることの現状を訴えていた。
確かに年収300万円以下の人と700百万以上の人が同じ仕事をしている現状は確かにある。
けれども、人種差別や階級性の無い日本は世界でも有数の平等な社会だと思う。
教育にしても、どんな事情があっても、自ら拒否をしない限り受けることは出来る。
そして、それなりに努力をすれば、収入格差の上のほうには入ることが出来る。
勿論、家庭の不和などで、勉強をする環境にない子供たちもいるだろう。
けれども、大人になり、収入格差が現実にあることを知ってからでも、仕事をしながら資格を取ったり、夜間の学校に通いながら大学に入ることも出来る。
それなのに、自分が収入格差の下の方にいることを全て国の政策のせいにするのは私には納得できない。
私は今、社会的な弱者かも知れないが、それを親のせいにしたり国の政策のせいにするつもりは毛頭無い。
心の病が脳の機能障害であるなら、薬で軽くすることができるかも知れないし、心の持ち方の問題なら、その心を変える努力をすればよいと思っている。
自分の等身大で生きていれば、収入格差が不平等だと不満を持つ必要は無いはず。
自分の収入が分相応じゃ無いと思うのなら、もっと努力をして分相応になればよい。
何でも他人のせいにするのは、自分を惨めにするだけじゃないだろうか。
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不安のことばかりが気になって、自分を振り返る余裕が無い。
何も持たず、本も雑誌も新聞も手にすること無く、ただ目的地(が無くてもよいが)に向かって電車やバスを乗り継ぐ。
そして、ただぼんやりと、景色を眺めたり、道行く人を見たりして時間を過ごす。
そうしたら、何か見えなかったものが見えてくるのではないかと思ったりする。
けれども、結局はその先に現実があることに落胆するだけかも知れないが。
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日本でも被害者が数千人に及ぶ台風の被害が何十年も前にあったと思うが、その頃とは桁違いに防災技術が発達した現在でさえ、そのような大きな被害が出る自然災害に、我々は逆に無防備になっているのかも知れない。
大型の台風が接近しているとニュースで知って、死を意識するような不安を持つ人は、今の日本では少ないと思う。
学校や会社が休みになるかも知れないと言って、喜んでいる人もいるだろう。
けれども、温暖化などの地球環境の変化で、とてつもなく大きな台風が来る可能性は今後増えるに違いない。
不安ばかりをふくらましていっても、生きるのが楽しくなくなるが、そういう不安を持たなくてすむような、最低限の危険予知と防災対策は行っておくべきだと思う。
ただ、私の場合、不安をいだく体質でありながら、結構そう言う災害には楽天的なところがあり、それも今だその本当の怖さを知らないからだと思う。
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あっという間に過ぎていた一日や一週間が、最近はすごく長く感じてしまう。
一日を充実させて、長く感じたいと思っていた頃があるが、充実した一日は本当はすごく短いものなのだと、今になって気付いた。
ブログを書いていると、あっという間に時間が経ってしまう。眠らなければならない時間がすぐにやってくるので、何もしない時間をつくると、確かに時間の経つのはスローになるが、その間不安が次々と押し寄せてくる。
好きなことをやって、時間があっという間に経つと、その後の気分は爽快になっている。
ブログを書いた後も、心が軽くなって気分が平穏になっていることが多い。
くつろぐとは、何もしないことではなく、何かに熱中することかも知れない。
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体の疲れは感覚的に分かるのだが、心は前向きに物事を考えられるかどうかが、その目安になるような気がする。
うつ病の心は脳の慢性的な疲れ。もしくは機能障害。
ただ、内蔵の病気のように、数値となって表れるわけでもなく、気質によっては薬でも完治しないし、もちろん手術などという外科的な方法があるわけでもない。
けれどもどんな病気でも自然治癒力を人間は持っている。
前向きに病気に立ち向かうことで、人間の持つ治癒力を引き出すことが出来るのだと思う。
前向きに物事を考えられない時こそ、前向きな言葉を発したり、前向きな行動を起こすことが必要なのだろう。
虚勢をはることも、時には必要なのだと思う。
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元気の無いときはどちらも良くないようだ。
元気のいいときは、少々の睡眠不足でもコーヒーを飲めば元気が出る。
けれども、元気の無い今は不安を強める作用があるのか、嫌な連想ばかりが浮かんできて落ち着かない。
体内に入る物質(例えばカフェインとかアルコールとか)にあまり拘りすぎるのもかえってストレスを感じるので、出来るだけ取らないようにするという程度に考えるのがよいのではと思っているが、こういうことがあるとつい大げさに考えてしまう。
酒も飲まず、コーヒーや紅茶も止めて、食事も制限する。
まるで、糖尿病の患者のようだが、そういう成人病とうつ病の関係も深いようだから、とにかくストイックに生きるしかない。
欲望を抑制することで、健康な精神と肉体が保てるのなら、それに越したことはないのだ。
うつ病の予防策として、うつ病を発病した時と同じ状況を作らないという指導がされているが、今私は、まさにその時と同じ状況の中にいる。
だからその恐怖感で心が過敏に反応しているのも客観的な目で見ることが出来る。
心はうつ病との葛藤状態に入っており、この戦いに勝ち抜くことで自信が取り戻せるのではないかとの期待もある。
そのためにも、欲を捨て、意志を強く保っておれるだけの最善のコンディションで立ち向かわねばならない。
戦いとは少し大げさな表現かも知れないが、逃げるのも戦略の一つであり、実力の範囲内で今の状況に対処していきたいと思っている。
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常に不安感がつきまとって離れない時には、そういうものなのだ。
なんでも無いときには、特別に幸福感など感じない。だから幸福感を感じるために物を買ったり、遊びに行ったりする。
けれどもそれだけでは心は満足しない。欲望には限りがないのだ。
そして、その欲望を満たそうとするあまりに頑張りすぎて、心を病む。
そんな悪循環を断ち切るためにも、今の自分を知ることが大切だと思う。
そして、今の自分が出来ることの範囲でがんばる。
そうすれば、達成感も得られるし、幸福感も感じられるかも知れない。
人を押しのけてまで、幸福を得ようしてもそれは得られないもの。
本当の幸福とは、人に勝つことではなく、自分に勝つことだと思う。
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ブログの利用者が300万人を遙かに越えているそうだが、一日のアクセスが何千件もあるブログより、何気ない言葉の中に自分と同じ波長を感じるような、そんなブログが好きだ。
自分は一生の間で何人の人と出会うことが出来るだろう。
せいぜい仕事がらみを含めても、数千人だろう。
そういう意味で、ブログという媒体を通じて、自分と波長の合う人に巡り会う機会は確率的にはずっと多いかも知れない。
けれども、私が最も巡り会いを感じる場が多いと感じるのは本の世界にある。
一方通行だけれど、自分と波長が合うように思えて、思わずのめり込んでしまう作家が数十人はいる。
プロの作家などそんなに多くいるわけでは無いだろうから、出会いの確率から言えばブログの数百倍以上になるだろう。
結局のところ、その人の表現力が豊かどうかが要因であって、確率とは関係無いのかも知れない。
確かに私にとって、面白いと思わせる作家には、私など到底及びも出来ないくらいの豊かな表現力を持っている。
表現力のある文章を書きたいものだ。
(やっぱりうまく表現できなくて、超駄文になって申し訳ない)
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じっくりと自分の心を見つめ、思い浮かんだことを書いていると心が落ち着いてくる。
負担にならない程度の文章を毎日少しずつでも、書いていくことで、自分自身を成長させていきたいと思っている。
今日は、録画していた、「ガイアの夜明け」で職場のストレスによるうつ病の特集をしていたので、じっくりと見た。
そしてまた、じっくりと考えた。
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心の変調を薬物でコントロール出来るような時代が来るかも知れない。
それほど今、脳の働きに作用する物質の解明が進んでおり、マウスによる実験レベルでは様々な精神病に効果のある物質も見つかっているらしい。
ただ、薬の場合副作用などもあり、承認されるまでに10年近い年月が必要なようだから、もしかしたら、もうすでにうつ病を完治させることのできる治療薬が開発されているかも知れない。
死の病と言われるエイズでさえも、短期間に薬が開発され、死の病ではなくなりつつあるようだ。
今後、需要の急拡大するだろう、心をコントロールする薬の開発はすさまじいものにちがいない。
けれども、そんな心を変えてしまうような薬が出来てしまったら、何となく恐いような気もする。
誰でもが、薬によって、記憶力が良くなり、沈着冷静になり、楽天的になれるようになったら人類はどうなってしまうのだろう。
「アルジャーノンに花束を」の話が、本当の話になる可能性もあり得るのだ。
そんな時代が来る前に、自分の心は治しておきたいと思う。
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とにかく、ひとつひとつ物事を片付けていっているうちに、時間は過ぎ、用件の方も進んでいく。
そうやっている間は心も落ち着いているし、用件が片付いていけば先の不安感も薄れてくる。
今日はそんなふうにして一日が過ぎていった。
トラブルが起これば、そのことに対し出来るだけ客観的に考えるようにして、まずは自分を責めないことだ。
自分に責任があっても、その過程をもう一度振り返って本当の原因をつかむ。
そして原因が分かればそれに対処するにはどうすればよいかを考える。
そしてトラブルを起こしたことに対しては、ありのままの事実を言い、そして謝るべきことがあれば言い訳をせずにただ謝る。
そんな日常を繰り返していれば、心の不安など起こるはずが無い。
どこかで、自分を防御しようとしたり、損得勘定をしたり、負けるのを恐れたりする気持ちがあるから、心はそれに反応して不自然な感情を生じるのだ。
そういう自分も本当の自分なのだから否定はしない。けれどもそんな自分を変えていくことは不可能なことじゃ無いと思う。
やれるだけのことはやってみよう。
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うつ気分をまぎらわすために、仕事に熱中した。
が、その後にやってきたのは、疲れと、また明日もあるのかという憂うつな気分。
もう少し無理をすれば、もしかしたら元気になるかも知れない。
休む時間も無く働いていた頃が不思議に思える。
休むからいけないのだ、と思ってしまう。
結局のところ、こんなうつ気分も、やる気のなさも、疲れた気持も、自分の心が作り出しているもの。
やりがいや生き甲斐が有るか無いか、それに尽きるのかも知れない。。
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仕事の延長だが、特にストレスを感じるようなことがらでも無いのに、緊張感とか焦燥感が強く、いよいようつ病の再発かと思った。
けれども、へとへとに疲れて家に帰ったあと、横になって少しうとうとするとまた普通に戻っていた。
夏祭りや盆休みなど、いつもと違う生活の連続が心を憔悴させていたのかも知れない。
明日にはまた元のうつ状態が戻っているかも知れないし、少しは元気が出ているかもしれない。
それは、その時になってみないと分からない。
けれども今普通であることを快適に過ごしたいと思う。
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メランコリー親和型うつ病というのはご存じだと思うが、几帳面、仕事熱心、堅実、清潔といったようなタイプの人がなりやすいうつ病だ。
けれども、これは日本人の気質そのものであって、現に日本人のうつ病はこのタイプが多いという。
仕事だからと割り切れない人が、息詰まってうつ病に陥る。
けれども、割り切ることが簡単に出来る人はそんなにはいないんじゃなかろうか。
私に仕事上での悩みや愚痴を言ってくる人がいるが、もっと割り切って考えるべきだと言ってもなかなか納得してもらえない。
私自身がそうだから、説得力が無いのかも知れないが、実は本当のところは別の所にあるような気もする。
要は自分自身が認められるためには、仕事だと割り切って物事をいい加減に出来ないのだ。いい加減に仕事をする人は、なかなか人には認められない。
日本人は割り切るのが下手なのではなく、認められたい、人に勝ちたいという欲望が強いというのが本音のような気もする。
それだと、日本人特有とは言えないのかも知れない。
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何か行動を起こそうとする度に立ち止まってしまい、そこから動けなくなる。
どんよりとした気持が思考することを拒んでいる。
一歩踏み出すことがどうしても出来ないのだ。
そんな時は、何もしない方がいい。
けれども、ほんの少しでも元気の兆候が見えたら、一歩踏み出す。
休息が必要なのは、明らかに心が異常だと思える時だけ。
休息をすればするほど、心の復帰が難しくなる。
けれども今はとにかく、少しだけ休もう。
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自分のことで精一杯で政治のことなど関心が持てないと言う人もいるだろう。
けれども今は国民がしっかりしなくては日本は駄目になる。
リアルタイム財政赤字カウンタ
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
を見れば、いかに日本が危機的な状況にあるか分かるだろう。
客観的に情勢を把握するのは難しいことだが、個人的な主観が入っても無関心でいるよりは、ずっとましだ。
それに、政治や社会に関心を持つことで、自分の生きている価値が見えてくるかも知れない。
私自身がそうだが、メディアがこれだけ発達しても、自分の住んでいる世界は小さなもので、そんな狭い世界で怯えたり苦しんだりしている。
たった一票だけれど、それでも日本の将来に貢献できるのだから、選挙には必ず行かねばと思っている。
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休み中に吹っ切れた気持になっていたのに、生身の人間を相手にするとやはり「びびる」。
以前は全く苦にならなかったことが、今とても辛く感じるのは心の抵抗力が落ちているせいだとは思うのだが、それが何故なのかはよく分からない。
ただ、ストレスにさらされ続けていると体は慣れてくるものだから、明日には今日のような「びびり」の気持は無くなっているかも知れない。
とにかく、やらねばならないことをこなしていく。ただそれだけでいいのだ。
目的があって、その目的の中身がどうのこうのと考えるのではなく、ただ黙々とその目的を消化していく。
それが自分の仕事であり、その目的が思い通りいかねば、その地点からもう一度始めればいいのだ。遅れたことを避難されるのも、それはそれで仕方がないこと。能力が無いと言われようが、遅れたことによって殺されるわけでもクビになるわけでもない。
くよくよと考える時間があったら働けばよい。
そうして、くたくたに疲れたらぐっすりと眠れるだろうし、また元気な自分が戻ってくる。
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帰省から戻ってきて、自転車で近所を走っていたら、夏の終わりを感じた。
気温はちっとも下がらないけれど、秋は確実にやってきている。
レジャーとかバカンスとかは全然縁のないお盆休みだったけれど、炎天下の中での草刈りや庭の手入れで汗をかくことで、すっかり体の血液が入れ替わったような気がする。
実家の近所の河原では、都会からキャンプにやってきた若者達がバーベキューを楽しんでいる。
夏には、いろんな過ごし方があるようだけれど、クーラーの効いた部屋で美しい海辺を眺めながら美味しい海の料理を食べる、といった過ごし方だけはゴメンだ。
季節を体で感じることで、心もその変化に反応するように思える。
年中空調の効いている部屋で、効率優先で仕事をさせられている人たちは、まるでブロイラーと同じではないか。それは私も含めてだけれど。
だから、仕事をしていない時だけでも、思いっきり季節を感じたいものだ。
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今、田舎の実家に一人でいる。
インターネットは電話回線でしか繋げないので、なんだか昔のパソコン通信の頃を思い出す。
写真も田舎にいる間は載せられない。
あたり前と思って使っていることが、使えないというのも何だか新鮮な気がする。
最近、気分の浮き沈みが激しいが、今日は下降気味のようだ。
孤独であることが、たまらなくさびしい。
こんな日は、家族ですごしたいと思う。
昨日、20年前の日航機の事故のドラマを見ていて、悲しくなった。
そんな人たちのことを思うと、人生の挫折感や敗北感など、取るに足りないものだと実感する。
なんて、小さなことにくよくよしているのだと、情けなくもなる。
消えてしまったものは取り返せないけれど、存在するものはもう一度取り戻せる可能性がある。それだけでもすばらしいことなのだ。
自らを消すのは簡単だけど、強引に大切な命を奪われてしまった人たちのことを思うと、そんなことは絶対にできないし、してはならないのだ。
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規則正しい生活を心がけていると、いつもの眠る時間を過ぎると全く眠れなくなる。
極端な睡眠不足が続くと、気持が滅入ってしまったりするものだが、緊張感が続いているせいか、不安感はそれほど強くない。
むしろ、その後で睡眠をとりすぎる方が、心には悪いような気がする。
緊張から完全に解放された状態の後で、再び緊張にさらされると、心は怯えうつ気分におちいる。
ある程度のストレスや緊張は必要なのかも知れない。
不思議なことだが、睡眠不足が不安感を麻痺させているような気もする。
お盆休みがもうすぐ始まるが、休みの前の嬉しさよりも、休みの後の激しい落ち込みへの不安の方が大きい。
心の切り替えがうまく出来ないので、年中仕事をしているか、休んでいるかどっちにすればよいのだろうが、現実的にはそんなことは出来ない。
心の切り替えが全く出来なくなった人がうつ病を長引かせるのかも知れない。
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