夜の運動
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帰りが遅いから、夜の10時を過ぎることもある。
けれども、20分~30分歩くだけで、驚くほど翌日の調子がいい。
スポーツで激しい運動などをした後には、たまった疲労物質を流してやるために軽い運動をする。
同じように、一日の肉体的、精神的な疲れを、歩行することで流してやれるのかも知れない。
それに、音楽を聴きながら歩いたり、考え事をしながら歩いたりすることで、心の切り替えができるのかも知れない。
いつも効果があるとは限らないし、疲れがひどくて歩く気がしない日もあるだろう。
けれども、なにか散歩の中身に変化をつけるなどして、長く続けたいものだ。
メタボリックシンドロームの予防のために始めたことが、思わぬ心にもよい効果を出している。
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脳の働きを記したものだが、最新の脳科学を知れば知るほど、心の病というのは脳の機能の異常なのだな、とつくづく感じてしまう。
毎日、自分の心の状態を観察しているが、睡眠時間や食べ物、疲れ度合い、ストレスの強弱などに関係なく脳の状態が変化している。
いや、実際にはそれらの要因が脳の機能を左右しているのだと思うが、ものすごく疲れているのに心は元気だったり、体調はいいのに気分がさえないということもある。
その日の元気は、その日の脳の調子によってしまう。
うつにしてもそうだ。
なんら特別なこともしていないのに、いつのまにか、どっぷりと沈み込むような沈鬱感がなくなり、通常の状態になっている。
脳の機能が正常に戻ってきたのだろう。
おそらくまた強烈なストレスにさらされたり、心を疲弊させるような状況が長く続いたら、やがて脳の機能が衰え、うつを再発させるのだろう。
脳の機能を維持するためにも、外からの刺激は出来るだけ緩和してやらねばならない。
そのための、心の癖を変えてやることが大切なのだろう。
なにせ、うつや神経症は、脳の一部が活発に働きすぎているのが原因であるようだから。
その部分の脳への刺激を減らしてやることを考えて行かねばならない。
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土曜日は自転車仲間とサイクルトレイン(自転車をそのまま乗せることの出来る電車)に乗って、岐阜で有名なお稲荷さんに行ってきた。
この一週間をのりきってやるぞという気合が入っていたのか、極端な疲労と睡眠不足にもめげずに、なんとか山場を越すことができた。
そういうしんどい生活を敬遠してきたのだけれど、そんなしんどさを楽しむ気持ちになってきたのは、心の回復のあらわれだろうか。
ある人が、苦しいことも悲しいことも楽しんでやるのが人生だと言った。
神は人間を、この世を楽しんでくるために現世に出してやっているのだと。
その人が本当に言いたいことは、神を信じろってことじゃ無くて、考え方感じ方を変えて人生を楽しんでしまおうってことだ。
心が強くなければそんなこと出来やしないけど、そう思うように努力することで心が強くなるという良循環も始まるかも知れない。
辛いときほどその中に飛び込んで、それを楽しんでしまうのもまたいいんじゃなかろうか。
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阿部元首相をただのボンボンだと思っていたが、やはりそうだった。
だから彼は駄目だと言いたいのではなく、だから彼が辞任を表明した時、すごく同情してしまった。
政治とは駆け引きの世界であって、自分たちには少しもその真の世界を見れないものだと思っていた。
ところが彼は人間が持つ弱さをあからさまにし、一国の頂点に立つものもまたただの人間なのだと知らしめてくれた。
彼の言う「美しい日本」というのももしかしたら本心だったのかも知れない。
なんて浅い言葉なんだと思っていたが、それだけに彼は本当にそう願っていたのかも知れない。
けれども一国を率いる人間がそうであってはいけないとも思う。
彼に同情したのも、彼を非難する報道や周りの者たちに腹立たしさを覚えたのも、それは自分を庇護しようとするエゴイズムかも知れない。
裏があってもいい、駆け引きがうまくてもいい、信念を持って日本を引っ張っていってやろうという人に率いて欲しいものだ。
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あまり仕事のことは書かないつもりでいるが、ちょっと愚痴を。
私は自分勝手な人間だが、多少の正義感のようなものもあって、明らかに意味のないことに経費なりを使うことには罪悪感を感じる。
けれども、そういうことを全然意に介さない人もいる。
経済小説などを読むと、会社を私物化するような身勝手な悪役がよく出てくるが、現実はもっとえげつないのかも知れない。
ワンマン経営の会社などは、ある意味仕方ないとは思うが、そうでない会社でも咎める立場の人が咎めようとしないようなところでは、そういうことが日常化しているのだと思う。
私が愚痴りたいのは、悪役が最後には朽ち果てる小説の世界と違って、のうのうと生き、弱い立場の人間が一度も日の目を見ずにそのまま人生を終えてしまうことがあたりまえのようにあることだ。
曽野綾子が、人間は皆平等だなんて思っている人間は愚かだと書いていたが、私もそうは思う。平等で公平だなんて、これっぽっちも思ってはいない。
けれども世のため人のために一生懸命に生きている人たちが、少しでも日の目を見るような、そんな世界を神様は作ってくれてもいいのだと思うのだ。
などと、あたかも自分自身が世のため人のために生きているような錯覚に陥っている自分自身を身勝手だと思いながら、そんな愚痴をほざいてみるのである。
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草刈といっても本格的なやつで、かなり広い範囲を草刈機やのこぎりやらを使って掃除する。
涼しくなると予想していた気候が外れて、熱帯のような湿気と暑さになった。
滝のように汗が出る。
へとへとになってもなお体を動かし、なんで休日にこんなしんどい思いをしなくちゃならないんだと思いながら、さらに作業を続ける。
そして夜。
疲れで鉛のように重くなった体を横たえて、ビールを渇きにまかせて飲んでいると、じんわりと体の奥から快感がにじみ出てくる。
これなんだ、自分が求めていたのは。
この時間が欲しくてここに帰って来たのだ、とそう思った。
心が欲求しているのは快感ばかりではない。
苦しみや悲しみや辛さやを含めて、全ての感情を全身で感じること。
そうやって心もまた活性化されるのだと思った。
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ようやく涼しくなったと思ったら、また暑さのぶりかえし。
その暑さに負けまいと、通勤をかねて自転車に乗っているのだが、それがまた体力を消耗するようだ。
しんどいと気力も落ちる。
気力が落ちれば、心も沈む。
心が沈めば動けなくなる。
動けなくなれば、自然と休息し、体力が戻る。
体力が戻れば気持ちもあかるくなる。
それが普通の人のパターンなのだろう。
けれども心が沈んで動けなくなると、体の活性能力が衰え、いつまでも沈んだままに陥ってしまうこともある。
また、病んでいる時、病んでいることを自分で気づかないでいる時にも、沈んだ心は戻らない。
けれども心が戻らないからとあきらめてしまうのもいけない。体力や気力は自分で気づかないうちに回復していることもある。
自分を奮い立たせてやることで心が回復することもある。
自分というのは難しいものだと思う。
まあ、今日はあきらめて明日になったら元気になっていると信じよう。
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うつ病というカテゴリーから離れたら、何でもかけるような気がしてきた。
最近、生きることが面白く無くなってから、その意味を自分に問いかけることが多くなった。
そういう考えって放漫でぜいたくなことだとは分かっている。
生きている意味を考える余裕があることって幸せなことだとも思う。
けれども敢えて自分に問いかけたい。
何で生きているんだ、と。
たぶん、たぶんだが、誰かにあてにされたいからなんだろう。
仕事でも学校でも、主だった立場の中心にいて、自分がやらねばという意識があるときは、それがどんなにしんどくてもがんばれるものだ。そしてそんな自分を気づかないうちに楽しんでいるものだと思う。
やらない人をみて、自分がこんなにしんどい目をしているのに、どうして協力しないのかと、腹を立てる。そんな人は止めちまえばいいのにと思ったりもする。
けれども、おそらく蚊帳の外にいるひとの方がずっとしんどいのだと思う。
中心にいたいけど、中心になれない自分に、我慢しながら、きっとおもしろくない時間を過ごしているのだろう。
生きているってそういうことだと思う。
だから、誰からも自由になったときは、すべての生きる喜びから見放されるときなんじゃないだろうか。
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多忙な毎日に疲れ果てているはずなのに、重い睡眠不足のからだを引きずるようにして電車に乗った。
私が求めているのは美しい景色でもなければ、見知らぬ土地へのあこがれでもない。
現実から逃れること。それだけだった。
現実がいやなわけでもなければ、苦しくって仕方がないわけでもない。
(少しまえまでは、そうだったのだが)
ひとつの問題を解決したら、またもうひとつの問題が起こって、そしてまたそれを解決する。
そんな延々と変わらぬ繰り返しに愛想をつかしてしまった。
逃避では無く、自らの気力で現実を変えていくだけのエネルギーが今の自分には無い。
だからほんの少し残っている体力で現実から逃避しているのだ。
面白くもない旅を終え、帰路についたとき、心の中からエネルギーが湧いてくるのを感じた。
私の体は新しい世界を欲しているようだ。
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何か問題が起これば、それをどう解決してやるかとわくわくした気持ちになっていたあのころ。
大きな声で笑い、冗談ばかり言っていたあのころ。
自信に満ち、今日より明日が良くなると信じていたあのころ。
脳が萎縮してしまったのだろうか。
けれども、
あのころは、慢心して人の心なんて見えなかった。
あのころは、心のこもった言葉より、負けない言葉を選んでいた。
あのころは、弱さを罪悪だと強がっていた。
今の自分と、あのころの自分。どちらが本当の自分なのか。
自分の脳は本当に退化しているのだろうか。
ちがう。
もともと弱くて自信が無くて、虚勢ばっかりはっている本当の自分は、いつでも変わらないのだ。
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最近、報道でうつ病の番組やら記事やらを見る機会が多くなった。
ドラマになるほどに身近な病気になったのだろう。
本当に患者が増えているのか、世間に認知されるようになったから増えているように見えるのかは分からない。
けれどもいつかは治る病気であることは事実だろう。
うつの長ーいトンネルを、いつ抜け出せるのかは本人にも分からない。だから余計に長く感じる。
知らない間にうつは治っていて、憂うつ感だけが残る場合もある。
環境が変わった途端に元気になり、自分のうつ病が治っていることに気づく人もいるだろう。
だから、「ああ、人生って本来苦しいものなんだ」って思えば少しは楽になれるのかも知れない。
生きていくということは、それだけ荷物を背負っていることなのだろう。
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今日も、一度目が覚め、時計を見たら3時半。
早朝覚醒かと焦ったが再び眠れた。
夜であれ、夜中であれ、普通なら眠っている時間に、あれこれ考えると、あまり良いことは考えない。
昼間だって疲れが出てくると、あーだこーだと否定的なことを考え始める。
今はすっきりと寝覚めたわけではないが、コーヒーを飲んでこうやって日記を書いていると何か前向きなことをやりたくなる。
経済のことにもっと関心を持って、リスクの少ない投資で資産(っていうほどのものは無いのだけれど)を少しでも増やせないかと考えたりしている。
心の病というハンディを少しでも乗り越えるために、誰にも束縛されない「やりがい」を持ちたいものだ。
※ ココログの調子が悪いのか、コメントの返事ができなくてごめんなさい。
ココログはこれが多いので、何度止めようと思ったことか。
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毎朝、早起きをしている。
人間は本来、朝に活動し、夜には休むというサイクルで生きてきた。
脳も同じで、朝はポジティブな思考になり、夜には思考が衰え休息を求める。
けれどもうつ病になった時には、朝は憂うつに、そして夜は不安に怯える。
脳が緊急指令を発し、強制的に休ませようとしているのだろう。
人間本来の生活をせず、昼夜逆転のような生活になったときに、脳は狂い始め、疲れてもいないのに休息を求めようとするのかも知れない。
あるいは、本来の生活パターンを狂わせると、脳はたまらずに休息を要求するのかも知れない。
それで今、早起きをし、自分がどう変われるか試している。
この時間を利用して、前向きな自分を取り戻せるだろうか。
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この春の切符だけだが、一日あたり1600円というのは本当に安い。
輪行と言って、自転車を担いで行ったのだが、めずらしいのかよく声をかけられた。
高校生くらいの子達に写真を撮って欲しいとたのまれたときもにこやかに対応できたのか、気持ちの良いお礼の言葉がもらえた。
こういう当たり前のことがすごく嬉しく感ぜられる。
春かと思える陽気に心ははずみ、堤防で寝転んでいると至福の時間を感じる。
現実とのギャップも大きいけれど、気持ちのいいときは素直に喜ばなくては。
私が敬愛する人の言葉を紹介しよう。
自分を ほったらかした 犠牲的精神なんて
あほですよ
自分を まず よろこびで みたしなさい
こぼれるほど 満たし続けなさい
あなたのまわりは よろこびの みずうみに なるでしょう
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自主的に参加した忘年会ばかりだったので、それなりに楽しめたと思う。
過去を振り返ることも、未来を予想することも、どちらも否定的に考えてしまう癖がついてしまっている私にとっては、節目の時期というのは何となく気分が憂うつになる時期でもある。
けれども、良いことが無かったかと言えばそんなことはなく、至福感を感じたり達成感を得たことも何度かある。
良いことしか思い出せない人は、未来もきっと明るいものだと思っているのだろう。
出会うことの楽しい思い出だけが記憶にある人は、次に人に会うのがきっと楽しみになるのだろう。
私が思い出すのは悪い記憶ばかり。
自分のことばかり見ているようで、実は何にも見えていない。
見ているのは自分の欠点ばかり。
それでますます不安を募らせ、過去を悔い未来に絶望する。
こんな主観ばかりの自分は滑稽そのものではないか。
だから主観的であっていい、手前勝手でもいいから、良いことしか考えない、いい加減な自分に変えよう。
「たのしく かんたん らく」に生きようって教えてくれた人がいる。
来年 ”も” いい年にしたいものだ。
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今日はそんな日だ。
別に悪いことがあったわけじゃ無いんだけれど、皆が楽しいことをしている中で、ぽつんと一人取り残された時のような孤独感を感じている。
一人でいる時は孤独感など感じることなく、満たされた思いで孤独を楽しんでいることもある。孤独であることと孤独感とは違うのだ。
さて、そんな日はどうするか。
愉快な本でも読んで、明日になるのを待つだけだ。
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思慮の足りない行動で、善良な人たちに迷惑をかけてしまった。
だからといって逃げてはいけない。
人間関係のわずらわしさから逃げていた自分が、再び人間関係を築こうとした矢先の失敗。
悔やむことより、その後の処置をどうとるかが問題だ。
後ろ向きに進めば進むほど、背景は暗くなっていく。
否定的な思考をし始めると限りない悪循環に陥ってしまう。
それを制止させる自分を持たなければ。
明るく、明るく、そう自分に言い聞かせよう。
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気持ちは後ろ向きより前向きの方がいいに決まっています。
友人は少ないより多い方がいいに決まっています。
けれどもそれら全てが必須の条件ではありません。
明るい人は思慮が浅いとか、前向きばかりでは慎重さが足りなくなるとか、言い訳はいくらでもできるけれど、それで気持ちが楽になるなら、それでもいいでしょう。
けれども、明るい性格や前向きな気持ちを否定してしまっては、益々生きるのが辛くなるだけです。
本当に、自分の価値観だけで生きることができる強さを持っていたら、苦しむことも無くなるはずです。
やはり世間の価値観にこだわっている自分がいるのです。
本当はこだわらないのが一番いいのでしょうが、それができないのなら、人から長所と言われることは伸ばし、短所と言われることはちょっと反省して考えてみる、それが大切だと思うのです。
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今日は、かなりきつい憂うつ感に悩まされた、ブルーマンデーだった。
特に大きなストレスをかかえている分けでもないのに、気持ちは上向いてくれない。
脳がキューっと萎縮してしまっている感じだった。
気持ちも前向き、心も暗くは無いのに、気分だけが落ち込んでいる。
不思議な感覚だが、休日ですっかり休止してしまっていた脳への刺激が強すぎるのかも知れない。
休日に仕事のことばかり考えていた頃と違い、今は本当に気持ちを切り替えている。
そのギャップが、逆に脳への負担を重くしているのだろうか。
いずれにしろ、明日になれば少しは楽になる。
そういう自分と対話しながら、一歩でも前に進みたいものだ。
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今、いじめの問題が話題になっています。
いじめが原因で心を病んだ人はたくさんいます。
私自身いじめられた経験があり、いじめた相手がそれを覚えてない程度のいじめでしたが、その時の疎外感みたいなものは今でも記憶に残り、時々よみがえってくることがあります。
いじめというものは、過去の体験というだけで終わってしまうものではありません。
その時の心の傷はいつまでも残り、さまざまな心的外的症状となって自分を苦しめます。
いじめさえ受けなければ自分はこんなに苦しまずともよかったのにと思い、いじめた相手を殺したいほどに恨むこともあるでしょう。
けれども過去を呪えば呪うほど心の傷は深くなってしまいます。
大切なのは今の自分を受け入れることです。
人に迎合しようとしている自分も、人前で緊張する自分も、異性の前で顔が赤くなる自分も、全て人から見放されたくないとか蔑まれたくないとかいう気持ちからきており、いじめから身を守ろうとする本能的な心の反応かも知れません。
けれども今現在いじめられていないのなら、それはもう過去のことであって、今の自分とは違うのです。
毅然とした態度を心がけましょう。
これからも職場や学校で言葉による暴力を受けることがあるかも知れませんが、少なくとも肉体的な暴力を受けたり所有物に損傷を与えられたりすれば、りっぱな犯罪になりますから、物的被害を受けることは無いでしょう。
だから拒否することを避けたり媚びたりする必要は無いのです。
今の自分を受け入れ、そして今の自分から始める。
そうすれば、嫌な過去も自分の肥やしになってくれるはずです。
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私のメルマガからの転載です。
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年末が近づいています。
これから忘年会やらクリスマスやら、人と飲んだり食べたりする機会が増えます。
私の場合、長年の間に染みついてしまった心の反応なのか、このシーズンになると心が憂鬱になります。
皆が浮かれているときに自分だけが憂鬱だなんて、などとよく思ったものです。
けれども正月もクリスマスもいろんな行事の中の一つでしかありません。
人が楽しんでいるのをうらやましく思うのは単なる妬みであって、興味が無いなら止めておけばいいのです。
断ったら、冷たいやつだとか協調性の無いやつだとか言われるかも知れません。
そう言われるのが嫌なら、嫌なままに参加すればいい。
嫌な思いをするのはほんの数時間です。
ただ、その数時間のために何日も前から嫌な思いをするのなら、特別な用事があるからとか言って断ったほうがいい。
どちらかを選択するしか無いのです。
無理矢理楽しい気分になろうと思っても、それは無理なことです。
私は勇気を出して、行きたくない忘年会を断りました。
もちろん気の合う仲間たちとの忘年会には参加します。
それは、一年を締めくくるという意味よりも、忘年会という名目で皆が集まれる機会だと思っていますから。
誰にでも、自分にしか味わえない最良の一日っていうのがあると思います。
そんな日を存分に楽しめがいいと思うのです。
それが正月だとかクリスマスだとかいう人は、それを楽しめばいい。
けれども、それらが楽しむべき日だと勘違いしているなら、それは訂正すべきです。
楽しい思いは自分のためにするものであって、楽しむべきものなんてありません。
けれども一つだけ。
年末年始の挨拶はできるだけしましょう。
私にとっても大の苦手な行事です。
けれども年末年始の挨拶は、親しい人やお世話になった人への感謝を表せる日なのです。
これこそは、するべきものだと思うのです。
考えるだけで憂鬱になってくる人もいるでしょう。私もそうです。
ぎこちなく相手に不快な思いをさせるのでは、という心配もあるでしょう。
けれども勇気をふるって挨拶しましょう。
無理に会話はしなくてもいいのです。挨拶だけでいいのです。
お世話になりましたとか、今年もよろしくとか、たったそれだけの会話で相手に心地のいい思いを味わってもらえるなんて、格好の機会だと思いませんか。
しんどいけれど、私もがんばります。
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悪いことが重なるというのは、心のせいだろうか。
心の癖を直す試みを始めて、少しずつ良くなりかけていた調子が、圧倒されるような心労の重なりで崩れつつある。
だが、崩れないぞとふんばっている状態でもある。
先人たちが、苦労は買ってでもしろと言ったが、意味の無い苦労はしたくない。
そして意味の無い苦労をしているのは自分の心のせいでもある。
「ええかげん」でいいのだ。そう心に言い聞かせても、なかなか心は反応してくれない。
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自分の時間を全て埋めてしまいたい、とそう思っています。
昨日はよく働いたから今日はのんびりしようとか、休息をとらないと症状が重
くなるから、とか考えて何もしないでいると不安が押し寄せてきます。
人間の脳に休止はありません。脳を休めるなんて実際にはできないのではない
でしょうか。
リラックスするといいますが、好きな音楽を聴くことも、寝ころんでスポーツ
番組を見ることも、脳が休んでいるのではなく、そのことに集中し活動している
わけです。
嫌な仕事をするときも、嫌いな人に会うときも、その場をどう対処するかで脳
はフル回転します。そしてフル回転している間、脳はそのことに集中しています。
問題はその場に立ち会うまでの時間です。
その場をどう乗り切ってやるかと挑戦的に考ることのできる場合はいいのです
が、その場を乗り切れないとか逃げ出したいとか思っている場合は、不安感を増
幅させるだけだから、むしろ考えない方がいいと思います。
けれども考えまいとすればするほど考えてしまうのが神経質な性格を持ってし
まった脳の弱点です。
だから全ての時間を埋めてしまう。
翌日の不安がある時は好きなことをやっても、心は上の空で集中できません。
そんな時は寝るまでの間にやることをいっぱい決めてしまう。やれなくても翌
日困らないような、部屋の整理や、親しい人へのメールの返事や、新聞の切り抜
きの分類分けなど、いくらでもやることは見つかるはずです。
私も週明けには様々なトラブルをかかえていて、それらがどう展開していくか
分かりません。
考えれば不安で押しつぶされそうになります。
全ての時間を用事で埋めてしまうことで今日は過ぎ去っていくでしょう。
明日になれば必然的に脳はフル回転せざるを得ないのですから、今、不安で時
間を埋めてしまうのはもったいないのです。
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心の癖を直す。
少し効果が出てきたのかも知れない。
いつも最悪の結果ばかりを想像していたが、最悪の結果とは一体何だろうかと思ったら、何も無いじゃないか。
死ぬのが最悪なら、それもまた楽になれるということだ。
家族が路頭に迷えば辛いだろうが、故意に悪事を働かない限り路頭に迷うなんてことは、そうそうあるものでもない。
父親の破産で辛い目にあった友人が、今は出世をして人生を楽しんでいる。
その時の苦労が、人生を変えたのだ。
私の不幸が、子供たちの将来にいい結果をもたらすかも知れない。
もちろん故意に不幸になろうとは思わないが。
災難は次々とやってくる。けれどもそれを災難と思うのは自分の心。
災難じゃなくて、次の幸運の一つのステップだと思えばいい。
なんだか自己啓発的な文句になってきたが、とりあえず人生はゲームだ。
限りある時間を喜怒哀楽しながら味わえばいいじゃないか。
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心の癖を直す。
今、実行中である。
認知療法では、それをノートに書きとめて、自分の悪い考え方を矯正していくようであるが、意識的にはそれほど否定的な考え方をしていないので書きとめることが難しい。
無意識下で否定的な思考をしているから始末に悪いのだ。
それに、健全な思考をしようとすれば、健全な肉体を保っていなければならない。
寝る前の過食での睡眠不足や、酒やコーヒーの飲みすぎも、心のコントロールの阻害要因となる。
明日はブルーマンデー。これもまた否定的思考。
達成感を味わうためには、辛い思いも越えていかねばならない。目的があることだけでも幸福なのだ、と肯定的に考える。
それでも不安な気分は消えないが、そうやって心の癖を直していくしかないのだろう。
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初心にかえって、やりなおそう。
前向きな考え方をする心の癖をつけることで、うつ病と立ち向かっていたつもりの私だが、気がついたら以前と変わらぬ自分に戻っていた。
否定的な考えを、その場その場で訂正することはできるはずだ。
感情はコントロールできなくても、考えを矯正することは出来ると思う。
だから、一からやり直す。
今、この瞬間から。
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TFT療法という、つぼを刺激して不安感などを無くす療法があると聞いた。
それでさっそくインターネットで調べてみたが、アメリカではそれなりに認知度の高い療法でもあるようだ。
かなり怪しげな療法にも思えるが、つぼを刺激することによる体への効果が実際にあるように、心に効果のあるつぼが本当にあるのかも知れない。
わらにもすがりたいという心境ではなく、多少心に余裕のある今だからこそ、そういうのを試して見るのも面白いかなとも思っている。
図書館にTFT療法についての文献があるようなので、予約した。
医者に行ったら、去年の今頃に調子が良くて薬を減らしてもらっているという。
季節と関係するのだろうか?
カウンセラーを目指している人にきいたら、今の最先端の科学をもってしても、うつ病や神経症などの心の病の根本的なところは分かっていないのだと言う。
分かってしまえばなんでもないことかも知れない。
けれどもこうやって自分の心のプロセスを解いていくことは、もしかしたら楽しいことなのかも知れない。
しんどいことではあるが。
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朝の目覚めが悪い。
起き上がろうとしても、体がだるく気力がわかない。
けれども、そんな自分が不自然だとは思わなくなった。
それこそが今の自分なのだと。
心も体も休みたがっている。
けれども休んでしまえば、同時に活力も無くなってしまいそうな気がする。
エネルギーのある時と、エネルギーの無い時の見極めが難しい。
自分の心をじっと見据えて、闇の世界から飛び出すタイミングを見計らっている。
諦めてしまえば、そのまま闇へ。
まだ明かりの見えない坂道を登り続けている。
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手に傷を負ったら、そちらの方に気をとられて憂うつなことを忘れている。
自傷行為という言葉が浮かぶ。
まさかそんなことするわけが無い、という苦笑。
偶然と必然の関係は分からない。けれども無意識と言う意識が自分を動かしているのは間違いの無いことだと思う。
だから前向きな気持ちを忘れない。
生きるだけなら何とかなるだろう。
けれども生を授かった幸運を本当に感謝できなければ生きる意味が無い。
心の葛藤もまた自分の生を見つめる良い機会なのだろう。
濃くて味のある人生を全うしたいものだ。
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体を傷つけてしまった。
わざとじゃなく、偶然の事故だけれど、気をつけていれば十分に防止できたこと。
そして今苦しんでいる。
後悔しても仕方が無いことだけれど、今回はとことん後悔しよう。
落ち込んで、自分を責めて、そうしてとことん苦しんだら、もうこんな無鉄砲なことはしないだろう。
自分を否定しなけりゃならないときもある。
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お盆に一人で帰って、一人で過ごす。
もう、何年ぶりか分からないけれど、堤燈を出し、火をつけた。
燃えやしないか心配で、何度も確認する。
ご先祖さんが帰りやすいように、明かりをつけてあげるのだということ、初めて知った。
そんなことも知らなかったなんて、と思うとおかしくもある。
ぼんやりと堤燈を見つめていると、この世に自分を遣わせてくれたご先祖さんたちに感謝の気持ちがわいてくる。
喜びも苦しみも授けられたもの。
全てを味わってこそ、生かされている意味があるのだろう。
ゆるやかな時の流れがある。
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面倒くさい、って言葉がよく浮かんでくる。
考えるのが面倒くさい。
話すのが面倒くさい。
動くのが面倒くさい。
そして、生きるのが面倒くさい。
毎日忙しさで目が回りそうなのに、本当は退屈しているのかも知れない。
自分の中にぽっかりと空いてしまった心の空間を、埋めてしまわないと不安がその隙間から忍び込んでくる。
それは闇の世界でもなく曇った世界でもない。
ただ、空虚なだけの世界。
心の贅沢に慣れてしまった人間の驕りこそが、わが身を不幸にさせているのかも知れない。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて出てきたものにこそ、価値があるのだと思う。
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憂うつな日々が続いている。
体が元気だから心も元気にならねば、という焦りがあるのかも知れない。
うつ病は治りかけの時がいちばん危ないというが、なんとなく分かるような気がする。
悲しくも無いが、楽しいことも無い。
それなら、なんで生きている意味があるんだ、などと考えてしまうのだろう。
生きていることに意味なんてありはしない。
生きているのではなくて、生かされているのだ。
だから生を全うする。それだけだ。
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昨日は対人恐怖のきつい症状が出て、落ち込んでいた。
体重がどんどんと減り、けだるく、気持ちも沈んでいた。
そして、眠れない夜を向かえ、もんもんと時間を過ごす。
今日は元気が戻ってきているようだが、そうやって人間ってのは、心のバランスをとっているのだろうか。
どんどんと痩せていくのは、甲状腺機能障害が原因なのかも知れないが、この夏の不安定さも一因かも知れない。
一時は「禁満腹」なんて壁に貼って、肥満を防止していたのに。
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この週末、実家で竹やぶの掃除をした。
竹は放っておくといくらでも生えてくる。
2メートルに1本程度生えていればよいそうで、竹の子を採るのも食べるためだけでなく、それ以上生えないようにする目的もあるようだ。
何年か手入れをしていない竹やぶに入り、増えすぎた竹を切っていく。
暑い中での重労働だった。
けれども、こういう時間が私は好きだ。
動く気力も出ないくらいにくたくたに疲れていても、心の中はすがすがしさに満ちている。
世の中のことや、仕事のことや、人間関係のわずらわしさも全て忘れ、ただ竹を切ることだけを考えている。
そんな自分に偽りは無い。
人間って、やはり自然の一部なんだと思う。
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昨日は出張先で眠れぬ夜を過ごした。
寝床が変わると眠れない性質であり、普通の人と違ってお酒が入ると余計に眠れなくなる。
始発の電車の音、カラスの鳴き声。眠れぬ恐怖に全身から冷や汗が出る。
不眠症であった頃、こんな辛い夜を毎日のように過ごしていた。
眠らねばいいんだと思うことで楽になることは分かっていても、どうしても眠らねばならないという思いを断ち切れないときがある。
そんな日は、ことさらに辛い。
今日はいい眠りをむさぼりたい。
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「非常識な成功法則 お金と自由をもたらす8つの習慣」という題の何とも怪しげな本を読んだのだが、内容は例によって潜在意識を利用せよというものであった。
ただ、潜在意識の力というのは確かにあると私は思っている。
だから本の中で、ノートとか手帳に書いたことは実現するという事項を実際にやってみた。
勿論、実現性の無いことをいくら書いても失望するだけだから(作者はそれでも実現すると言うのだが)、実現性が五分五分くらいのことを手帳に書き付けた。
そしてその結果は、手帳に書いたとおりになった。
物事をプラス思考に考えるというのは非常に難しいことだと思っている。
先天的にそういう考え方のできる人はいるが、逆に私などのように先天的にマイナス思考に考えてしまう人間にとっては、特に難しいことなのだ。
だから、言葉に出したり、紙に書いたりする。
心は動かせなくても、口や手は動かすことができる。
潜在意識は人間なら誰しもが持っている不思議な力だと思っている。
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今日は久しぶりに強烈なブルーマンディーだった。
ココログの調子が悪いのか、我が家のネットの環境が悪いのか、更新するのにも一苦労する。
老舗のニフティだからいいだろうと思って使っているのに裏切られることが多い。
ニフティさん、しっかりしなきゃミクシィにみんな持っていかれますよ。
RSSリーダーなどを使いこなせない人にとっては、気になる人の日記更新がタイムリーに分かるミクシィは、すごく魅力的なサイトだと思う。
だからココログさん、めちゃ反応の遅いのを何とかして下さいね。
タイムアウトの連続に、やめてしまいたくなります。
辛いときこそ「ありがとう」って言おうと教えてくれた人がいる。
最悪の一日にありがとう。
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今日は久しぶりに強烈なブルーマンディーだった。
ココログの調子が悪いのか、我が家のネットの環境が悪いのか、更新するのにも一苦労する。
老舗のニフティだからいいだろうと思って使っているのに裏切られることが多い。
ニフティさん、しっかりしなきゃミクシィにみんな持っていかれますよ。
RSSリーダーなどを使いこなせない人にとっては、気になる人の日記更新がタイムリーに分かるミクシィは、すごく魅力的なサイトだと思う。
だからココログさん、めちゃ反応の遅いのを何とかして下さいね。
タイムアウトの連続に、やめてしまいたくなります。
辛いときこそ「ありがとう」って言おうと教えてくれた人がいる。
最悪の一日にありがとう。
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今日は久しぶりに強烈なブルーマンディーだった。
ココログの調子が悪いのか、我が家のネットの環境が悪いのか、更新するのにも一苦労する。
老舗のニフティだからいいだろうと思って使っているのに裏切られることが多い。
ニフティさん、しっかりしなきゃミクシィにみんな持っていかれますよ。
RSSリーダーなどを使いこなせない人にとっては、気になる人の日記更新がタイムリーに分かるミクシィは、すごく魅力的なサイトだと思う。
だからココログさん、めちゃ反応の遅いのを何とかして下さいね。
タイムアウトの連続に、やめてしまいたくなります。
辛いときこそ「ありがとう」って言おうと教えてくれた人がいる。
最悪の一日にありがとう。
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先週の週末、曇り空の中、自転車で県境をまたぐ峠越えをしてきた。
最近は休みになると、殆ど家にいない。
家にいると何となく不安だという気持ちもあるのか、朝から出かけ夕方に帰ってくる。
それでも外はまだ明るいので、遊んでばかりいることに罪悪感を感じ、庭の草刈をしたりなどもする。
そうやって、充実した一日を過ごすと気分がいい。
旅をすることに再び興味を覚えてきた。
日本国中、コンビニのある同じ風景ばかりだと思っていたのが、走ってみていろんな風景があるのだと知った。
地図を見ていると、飽きることが無い。
閉じていた心が少しずつ開いてきているのかも知れない。
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このブログにも何度もコメントを書いて下さった、AllIsUtuさんがブログを閉じられる。
抑うつ感を克服され、今は新たな仕事に挑戦されている。嬉しいことだ。
AllIsUtuさんが、うつがあるのも自分であり、苦しいと思うのも怖いと思うのも自分だと受け入れられたのが、今の元気の素因になっていると思う。
元気になられたから、そう思えるようになったのか、そう思えるようになったから元気になられたかは、ご本人でも分からないだろう。
けれども、良い自分も悪い自分も全て受け入れることの大切さは同じだ。
こんなことを書いている私だが、実現出来なかったことが悔しくて眠れない日が未だにあるし、強いストレスに負けて死にたいと思うほどに落ち込むこともある。
そんな時は、それも自分だから仕方がないと割り切ればよいのだろうが、それが出来なくて苦しむこともある。
けれども、それもまた自分であり、時間が解決してくれることだけを信じてがんばっている。
AllIsUtuさん、本当に良かったですね。
いつまでもお元気で、がんばって下さい。
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最近、mixiにかなりはまっている。
好きな自転車や写真のコミュニティに行けば、面白い話題がたくさんあり、ついつい時間の経つのを忘れてしまう。
あんまり夢中になっていると、気付かないうちに疲れがたまるから自制はしているのだが、良い刺激になっているのは確かだろう。
うつが強いときは、好きなことにさえ義務感を感じてやっていたのに、今は楽しい。
相変わらず、憂うつな時間はあるが、年がら年中元気だったら、これはもう間違いなく病気だ。
憂うつを知っているからこそ人の心が解り、慎みができる。
そして、人とのコミュニケーションには慎みが必要なのだと思う。
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23日のNHK特集でも取り上げていたが、人間の脳は学習をしたり運動をすることで活性化し、経年するにつれ減るだけと考えられていた神経細胞も増えることがあるそうである。
うつ病や神経症によって脳の機能が衰え、萎縮を早めることになると、老年になって認知症になる確率も増えていくのではないかと思う。
うつ病や神経症の発症率が、その人の生まれ持った資質に関係するということは否めないと思っているが、だからこそ自分に合った前向きな生き方を目指して努力していくことが大切なのではないかと思っている。
人と合うのが億劫だという人も、仕方なく参加した集まりの中で気の合う人と出会い、人と語り合うことの楽しさに心が踊った経験があるだろう。
たまたま聞いていたラジオで好きな曲に出会い、そのアーティストの作品を買いあさったこともあるだろう。
そういう、わくわく感やどきどき感が脳の神経を刺激し、気持ちを前向きにさせるはず。
いま、子供にまでうつ病や神経症(現在ではこの病名は使われていないが)が増えているという。
そこには、偏りすぎた競争原理主義と、のんびりと生きれば落伍者になりますよといった暗黙の強迫観念が蔓延している、今の社会の雰囲気が大きく起因しているのだと思う。
大切なのは生きることを楽しむことであり、楽しむためにがんばるのだという生き方ではないだろうか。
今、それが逆になっている。
がんばらないと生きられないぞと脅されれば、心は萎縮するものだ。
あるブログの中で、すばらしいことが書いてあった。
「やらねばならないことは、メモをとりなさい。そしてメモをとったら、もうそのことは忘れて余暇を楽しみなさい」と。
心を楽しませてやれば、嫌なことに立ち向かう元気も出てくるもの。
脳を活性化させることは、イコール楽しむことだと思う。
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ジンクスを信じないと新年に誓った私だが、ここ何回かジンクスが的中している。
心の中でジンクスを恐れているせいだろう。
ジンクスが的中していいるというより、ジンクスを恐れる自分がジンクスをつくりだしているというのが本当のところだと思う。
思ったことが現実になるというのは、本当だと信じている。
だからこそ物事は前向きに考えないといけないのだが、悪いほうに考えてしまうという心の癖は、なかなか直らない。
長丁場になるかも知れないが、そういう染み付いてしまった心の癖を直すことができれば、きっとより良い人生が待っている。
幸不幸は自分の心がつくるもの。
まだまだがんばらなくては。
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昨夜は全然眠れなかった。
それで、今日は憂うつな一日になりそうだと、なかば諦め気分で出勤したが、寝不足による緊張感の無さのせいか淡々と仕事が進み、これ以上は気力が持たないなというところで帰宅した。
多くの医者は、睡眠不足が心の健康の大敵だと言うが、睡眠のとり過ぎも良くないと思っている。
何事も適度に規則正しくというのがいいのだろう。
ただ、こういう寝不足が却って調子が良いと思えるときもあるので、心というのは本当に不思議なものだと思う。
ところで、昨日はSSRIについて書かれた本を読んでいた。
日本で認可されて間もない頃に出版された本だ。
まるで夢の薬であるかのように、その効果を絶賛しているのだが、それから数年経った今でも心を病む人は増え続けている。
SSRIの効果が無いというのではない。薬が良くなっても、それ以上に人間や社会が変わってきているのかも知れない。
弱肉強食、収入格差、勝ち組負け組み、どれもあまり楽しい言葉ではない。ごく一部の人を除いては。
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憂うつな気分の時は自転車に限ると、午前から午後にかけて走ってきた。
私の場合、余程疲れてない限り、自転車に乗ると脳内にセロトニンとノルアドレナリンが放出されるようで、即効薬的効果がある。
自転車のようなリズミカルな運動が、セロトニン物質の分泌を促す働きがあるのはよく知られていることだから、うつ病や神経症の人にはぜひお勧めしたいところだが、人それぞれに好き嫌いがあって、自分が楽しいのだから誰でも楽しいものだと思い上がるほどの図々しさは持ち合わせていないつもりだ。
けれども、神経症の人たちが自転車のサークルを創って、効果を上げている実例があるのは事実だ。
ところで、「楽しいからお前もやれ」という図々しさを持った人の中でも、好きな人はいる。
その一人が大前研一氏であり、氏の本を読むと元気になる。
氏いわく、遊びのスケジュールをまず埋めた後で仕事のスケジュールを組めと言う。
私など、遊びは罪悪だと思っているから、予定を立てていても仕事が入るとキャンセルしてしまう。氏はその逆だ。
これは見習わねばならないことだと思う。
生真面目は良い性格だとは思っているが、それが昂じて心をこわしてしまう。
憂うつな朝だったが、自転車と大前研一氏の本のおかげで元気になった。
サッカーはほどほどにして、元気なうちに早めに眠ろう。
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最近、職場での大きな声が戻ってきた。
地声は小さいのだが、電話で会話をしている時の声が大きいと、たしなめられたこともある。
親しい取引先の人などとは、ブラックジョークなども交わしていたので、まゆをしかめていた人もいるだろう。
うつを界にその大きな声が途絶えていたのだが、この頃は意識的に声を大きくするようになった。
ただ、以前のように弱い立場の相手先などに声を荒げることは無くなった。
会話を大きな声で、冗談も交えながら、元気よくすることで、自分も明るくなるし、相手も応えてくれる。
親しい友人とバカ話をした後などに元気が出てくるのは、きっと脳の働きが活性化しているのだと思う。
運動する前にウォーミングアップすることで、体の動きがスムーズになるように、心のウォーミングアップで軽快な気分になることもある。
そのウォーミングアップの一つが声を出すことだと思う。
まあ、元気の良いときは何をしても効果があると思い、元気の無いときは何をしても逆効果に思えるものだから、真相の程は定かでないが、次の心の谷がきたときに試してみたいと思っている。
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知り合いの人から聞いた話だが、最近の脳科学でうつ病や神経症の人には、脳の機能に共通の特徴があるという。
機能障害と言えるのかどうかは分からないが、確かに同じ悩みごとでも、くよくよする人と、すぐに忘れてしまう人がいる。
先天的なものと言われてしまえば、夢も希望も無くなってしまうが、さらにそれが解明されると、うつ病や神経症を根治する薬も開発されるだろうということであるから、実現するなら嬉しいことではないか。
それと、不安を感じている時は、体を動かすような雑用や小作業等をすると、脳の機能が活発になって不安を和らげる効果があるという。
インターネットで得た情報だそうだから、100%信用できないかも知れないが、かなり正しい情報だと思う。
ただ、近年になってうつ病や神経症の人が大幅に増加している事実とは、少し矛盾するようなので、どう説明すればいいのだろう。
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仕事で多忙な日々が続いている。
前向きな仕事ならいいのだが、トラブルの処理ばかりで、一つのトラブルに気をとられて別のトラブルを発生させてしまうという悪循環に陥っている。
そんなわけで、就業中はかなりマイっているのだが、帰宅してからの心の切り替えが出来るようになってきた。
梅雨に入って、これからウットウシイ季節になる。
秋になって豊かな穂を実らす稲のように、このウットウシイ日々を乗り切って、豊かな心を育みたいものだ。
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日曜日に自転車好きな人とのオフ会で、一日中自転車で走っていた。
対人恐怖のある私だから、前日の土曜日は何となく不安感があり、少し大目の導眠剤が必要だったが、翌日合った人たちは皆良い人ばかりで楽しい一日を過ごせた。
けっこう年配の方も多かったが、貪欲に楽しもうとする姿や好奇心の強さに驚かされる。
私などは、走るのが精一杯で観光する余裕なんてなかったくらいなのに。
運動による脳の血行促進は、うつ病の治療などに効果的と言われているが、運動だけでなく、人との交流もまた脳を刺激し、うつ病には良いのだと思う。
相変わらず、憂うつな時間と、そうでもない時間が交互にやってくるような心理状態が続いているが、どんな方法であれ、脳を刺激することの大切さを体で感じた一日だった。
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年間の自殺者が32552人になったと、ニュースで報じていた。
20年前、30年前と比べて、いろんな意味で社会が変わってきたのかも知れない。
けれども、高度成長期時代と比べれば、30年前と今ではそれほど生活の質は変わらないのではないだろうか。
最も大きく変わったと思えるのは、コンピュータや携帯電話、インターネットの普及などにより、個人に入ってくる情報量が格段に増えたことだろうう。
そして、それと比例して人と人との直接的なコミュニケーションが減ったことがあると思う。
もう一つ大きく変わったと思うのは、雇用形態だ。
年功序列が無くなり、派遣社員の増加などによる収入格差が広まったこと。
以前から収入格差はあったが、会社間の収入格差が主で、おなじ社内での収入格差は年齢に比例していたように思う。
優秀な人にとっては不公平な制度ではあっただろうが、普通の人にとっては公平な制度でもあったように思える。
そして、そんな不満は、帰りの居酒屋で発散できる程度のものであったような気がする。
けれども今は違う。蹴落とさなければ蹴落とされる。運良くチャンスにめぐり合えば勝者となれるが、がんばっていても少しの偶然で敗者に落ちてしまう可能性のある熾烈な世の中だ。
なにか、そのへんが、この32552人と関係があるような気もする。
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人と話しをしている時間が長くなった。
元気のいい時間が、憂うつな時間より長くなった。
否定的な考えよりも、肯定的な考えをするようになった。
だからといって、こうやれば良くなりますという講釈を述べるつもりは無い。
自分が良くなっているからといって、それが万民にも通じるものでないことは、自分が一番よくわかっているつもりだ。
それに、落ちるときは急激に落ち込むから、経過を見ないと病状の回復度合いなんて分からない。
ただ一つだけ言えることは、時が解決してくれるだろうと言うことだ。
自分で命を絶たない限り、いつかは心安らぐ時が来る。
大切なのは、そう信じることだと思う。
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人に出来るだけ声をかける。
会社でも、聞きたいことがあったら躊躇せず声をかける。
嫌がられそうなことでも、しり込みをせず声をかける。
家にかえれば、妻に声をかけ、子供たちにも話しかける。
そして、ネットの世界でも、皆の声に耳をすまし、苦しみや楽しみを共有する人たちに声をかける。
そして、眠る前には自分自身に声をかける。
今日一日生きることができたことに、感謝をこめて。
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私の無知から生じさせたミスで、大勢の人に迷惑をかけている。
その処置のために、今日徹夜を強いられている人もいる。
だが、その人たちは私を責めようとはしない。
真面目にやってきたことに対し、理解をしてくれているのだろう。
私は自分を責めるのではなく、そんな人たちに感謝する気持ちを大切にし、二度と同じ迷惑はかけないために、次にどうするかを真剣にそして前向きに考ていくことが、私が果さねばならない責任だと思っている。
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うつ病自殺を「労災」と認める判決が下された記事が新聞に出ていた。
その判決理由の中で、「上司の配慮を欠く発言」が自殺に至った一つの要因であったことを認めている。
言葉は暴力になりうることを、少なくとも管理者たるものは自覚すべきだろう。
拳で相手を殴って怪我をさせたら、傷害罪になる。
そんなことは、常識のある人間なら誰でも分かっていることである。
けれども、言葉の暴力は相手に一生消えない心の傷を負わせたり、時には死に追いやることを本当に理解している人がどれだけいるだろうか。
「切れる」という言葉を平気で使う人が多くいる。
その言葉の裏には切れても暴力をふるうようなバカなことはしないという自負が見え隠れするのだが、そういう人に言葉の暴力に対する自覚は薄い。
「上司の配慮を欠く発言」の内容を知る由もないが、言葉の暴力の重要性を社会に知らしめるという意味で、この判決は意義のあったものだと思う。
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親の収入と子供の学歴について
昨今は、親の収入と子供の学歴が概ね比例していると言われているが、例外はたくさんあるにしろ、事実ではあるだろう。
社会的勝者である高所得者は、労働の対価に対しての優越意識を持ち、そしてそれを誇り、子供たちにも勝者になることを願って教育費をつぎ込む。
それに対し、低所得者は労働対価が低いことを不本意に思いながらも、立場に対して縛られること無く自由であり、子供たちに対してもその時々が楽しければいいという刹那的意識を持つが故に、教育費に大金を投じようなどとは思わない。
すこし、両極端かも知れないが、そんな構図が今の現実のような気がする。
それらは全て大人の勝手であって、子供たちには人生を自分で作っていくだけの選択肢を持たせてやる権利があると思う。
勉強したい子供には、放課後などを使って自由に補修が出来るようなしくみを、もっと作っていくべきでなないだろうか。
順位をつけない平等教育もいいかも知れないが、それがかえって勝ち組だ負け組みだと言って順位にこだわる世の中にしてしまっているような気がする。
そして、そんな歪に対応しきれなくなった正直者が心を病む。
愚痴を言ってもはじまらないことだけれど。
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新聞に、うつ病発症でトヨタを提訴という記事が載っていた。
こういう記事を読むと、とても複雑な気持ちになる。
会社は組織で動いている。有能な上司もいれば、自分の身の保全だけを考えているような上司もいる。
部下だって、有能な部下もいれば、怒りたくなるような部下もいるだろう。
気持ちとしては、過労でうつ病にさせられた側の肩を持ちたいところだが、自分が暮らせているのも、女房子供を食べさせていけているのも、辛い思いをしながらがんばっている社員が何割かいるおかげで、会社が利益をあげ、給料が貰えているからだ。
うつ病になっても、クビにはせず、休職させてくれた会社には感謝している。
休職を申し出れば、もう来なくていいと言う会社はいくらでもある。
私は、デンソーの社員でもなければ、トヨタの社員でもないので、事情は分からないが、メンタルヘルスに対しては、十分理解のある会社だろう。
ただ、自分が睡眠をとらずに働いているのだから、皆も同じだけ働けるはずだと思い違いをしているような上司にあたってしまった、真面目な社員の悲劇かも知れない。
物事を、客観的に見ようとすることほど、難しいものは無い。
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今、怪しげな啓発本を読んでいる。
量子力学で、多重世界という、人が物質を観測した瞬間に世界が枝分かれしていくという解釈があり、その解釈を応用すれば、明るい未来が必ずやってくるという。
つまりまは、良く考えれば良い方の世界に自分が枝分かれをし、悪く考えれば悪い方の世界に枝分かれするという解釈から、心そのものが世界を作り出すことが出来るという理屈になるというのだ。
また、言葉は大きなエネルギーを持っており、前向きな言葉に発することで自分の夢や希望が必ず叶えられると言う。
作者は自己顕示欲が強いのか、啓発活動をする本人の写真を何ページも本の間にはさんでいる。
全く、怪しげな本ではあるが、一理はある。
私自身、これまで何度も書いているが、言葉の力と言うのは間違いなくあると思っている。
「うまくいく」と何度も念じるように言葉に出せば、本当に実現することをこれまで何度も体験している。
そして、今日も一年以上も前から憂うつの種だった事柄が、朝に発した「絶対にうまくいく」という言葉通りに解決した。
まだまだ憂うつの種は尽きないが、言葉の力は信じ続けたいと思っている。
が、元気が無い時は、その言葉が口に出せない。
元気が無い時こそ、大きな声を発する必要があるのだ。
思いっきり前向きな言葉を。
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妬み嫉みの感情は、人と接している限り、沸き起こってくる。
その感情を殺そうとまでは思わないが、その感情は自分自身を痛みつけるだけで、何の利得にもならないと思えば、バカらしくなって感情から消えていくものだ。
それでもまた、平和そうにしている人をみると、妬み嫉みの感情が沸いてくる。
厄介な感情だ。
その感情が生きるためのモチベーションになっているのならいいが、私の場合はそうではない。癖のようなものだ。
だから、その分、人に感謝するように心がけている。
捻じ曲がった心のリハビリテーションだ。
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連休も終わり、暑かったせいもあって、憂うつな気分で一日を過ごされた方も多いかと思う。
私自信がまさにそんな状態で、連休中とはうって変わって、気分が沈みっぱなしだった。
けれども、これは予想していたことでもあり、沈んでいるなという気分はそのままに、こんな気分でもやれそうなことだけを淡々と処理していった。
この休みで誓いを立てたように、先のことを悪い方向に考え始めたらその思考をストップさせる、ということを守りながら、とりあえず一日を過ごした。
明日になれば、多分今日よりは元気になっているだろう。
元気な時に、困難な仕事はこなせばいい。
せっぱつまれば元気が無いなどとは思っている余裕もないから、急ぐことはないのだ。
先のことを不安に思って周到な準備をするのも大切だが、なんとかなるさと、割り切ることも必要だと思う。
それらはすべて、自分の心と対峙しながら、その都度考えていけばいいのだ。
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ゴールデンウィークに入って充実した毎日を送っている。
どこに行くわけでもないが、適度に運動し、適度に読書をし、そしてちょっと多い目だが食事も楽しんでいる。
景気の良いせいもあって会社にも出ているが、9連休のところが多いので客先からのクレームや納期の催促も無い。
今は完全にうつ状態では無く、むしろ躁状態といってもいいくらいだ。
やたらと物欲が出てくるのは元気の良い証拠。インタ-ネットで欲しいものを物色しているだけでわくわくとした気分になる。
今なら何でもやれそうで、今なら憂うつな気分になっても払いのけることが出来そうな気がする。
けれどもそれが、今だからだ、ということも理解はしている。
ゴールデンウィークが終わって、再び現実に引き戻されると、いつもの自分に戻っているだろう。
ちょうど、正月休み明けに強いうつ感に襲われたように。
だから、元気なうちに一つ誓いを立てよう。
正月休みに、縁起はかつがないと誓ったことを、今でも守っている。
縁起をかつがなければ悪い予感も当たらないことに気付いた。
多くの出来事が偶然ではなく心が作り出したものであることにも気付いた。
今回は、負のイメージが浮かんだら言葉に出してそれを否定することを誓おう。
仮に負のイメージを打ち消すことが出来なくても、とりあえず口に出す。
何度も落ち込むことはあるだろうが、ひとつひとつ積み重ねているうちに、確実に良くなっている自分を見出すことが出来るだろう。
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今日は田舎で野良仕事をしてきた。
ゴールデンウィークになんでこんな仕事をせねばならないんだ、と思うこともある。
けれども、行楽地に出かけて高いお金を払って、なんでこんな窮屈でしんどい思いをしなけりゃならないんだと思うのと同じこと。
違いはその後。
気持ちがいいのだ。いい汗をかいた後は。
自然と共存しているという心地よさと、無心になって仕事をする充実感。
これは、行楽地では味わえない快感だと思う。
人それぞれだから、決して行楽地を否定するわけではない。
ただ、私の場合とても良い、心のリフレッシュになる。
セロトニンとノルアドレナリンがドバーっと脳の中にあふれているような、そんな心地のよさで、野良仕事を終えた。
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今日は、何も考えずに、ひたすら自転車で走っていた。
立ち止まってしまうと、臆病な自分が頭をもたげてくる。
元気な時の自分は全てを前向きに見ている。そして前向きに見ている時には物事もうまくいく。
行動こそが元気の源。
疲れたときは休めばいい。けれども休む理由ばかりを探している時は動いたほうがいい。本当に疲れているときは休む理由など考えないものだ。
全ての現実は脳が作り出す世界。だからその脳を活性化させてやることが重要なのだ。
と、そう思う。
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今日、気分が沈んでいる自分を客観的に見ている自分が、意識の中に出てきて、ああ、また最悪のことばかり考えているや、と笑っていた。
一月先の仕事のことを考え、最悪の事態を想像しては気分を沈ませている自分と、今生きているのだから、今のことだけを考えていればいいのだと言い聞かせている自分。
前者が本質的な自分で、後者は少しずつだが培ってきた自分だ。
後者の自分が勝ってくれることを目標に、がんばって生きていかなければ。ね。
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図書館で、町沢静夫の「見捨てられる恐怖」というのを読んでいて、まさしく私のことだなと思った。
ボーダーライン、境界性人格障害というやつである。
マリリン・モンローは、あれだけの名声を得ても、自分は必要の無い人間だと思い続けていたと言う。
モンローの母親も祖母もうつ病だったそうで、遺伝的な要因があるとはいえ、子供の頃から孤児院などを転々とさせられ、愛情を受けずに育ったと言う。
モンローの人を引き付ける術は、そんな生い立ちから身につけていったものだろうと著者は分析する。
虐待やいじめ、険悪な家庭環境、行き過ぎた過保護など、ボーダーラインに陥る危険性を多くの子供たちが持っている。
ただ、ボーダーライン人格障害になってしまった場合にどうすればよいかを、この著書の中では書いていない。
たぶん、答は無いのだと思う。
治らないという意味ではなくて、答は人それぞれに違ったものであるのだろう。
ところでその本の横にあった、「ぼくの心をなおしてください」という題で、作家の原田宗典と町沢静夫の対談本があったが、原田宗典は躁うつ病暦26年(2001年当時)なんだそうである。
どんな話の展開になるのか、興味があったが、あいにく閉館となってしまった。
100冊以上の著書がある町沢氏が、躁うつ病暦26年の原田氏を治せたのかどうか。
また来週、図書館に行こう。
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毎日、へとへとになって帰ってくる。
風呂に入って、食事をすれば、もう時間は無い。
何のために生きているのか、とそう思いたくもなる。
けれども、ほんの30分から1時間ほどの時間だが、ブログやMIXIでコメントをもらったり書いたりしていると、ほっと気持ちが楽になる。
顔を合わせて話をすることだけがコミュニケーションじゃ無いということを、つくづく思うようになった。
顔を合わせても、お互いが自分の自慢やら不満だけを口にするだけで、相手の話を聞こうともしないような会話など、コミュニケーションとは言えるだろうか。
人脈作りだと言って、利害のためだけの知り合いを友人と言えるだろうか。
それらを私は否定はしないし、お互いが満足できればそれでもいい。
けれども、合ったことも無く、本名も知らない人の中にも、友達と言うのは存在するのだと、最近思うようになった。
自分をほっとさせてくれる言葉をくれる人、返せる人を、友と言わずに何と言おうか。
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食卓は、明るいほうがいい。
けれども、子供の食べる姿勢が悪いので、注意をしたら、言い争いになった。
途端に食卓の雰囲気が暗くなった。
子供にしてみれば、家にいる時くらいくつろいだ姿勢で食べたっていいだろうという気持ちがあるだろう。
私にしてみれば、堅苦しい姿勢でなくてもいいが、最低限の姿勢を身につけておかなければ、大きくなって恥ずかしい思いをするぞという親心がある。
穏やかに話したつもりだが、反抗的な返答に、怒りをあらわにしてしまった。
喧嘩の絶えない家で育って、暗い家庭にだけはすまいと努力はしているのだが、躾だけは別だと思っている。
喧嘩になろうが、最低限の常識だけは持った人間として、世に出してやらねばならない。それが親の義務だ。
と、そう思いつつ、躾って本当に難しいなと思う、今日この頃である。
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今日は、自転車で通勤した。久しぶりのことだ。
桜道を走っていて、きれいだなと、感じない自分にため息をついた。
うつだからではなくて、たんにウットウシイだけなのだ。
自分が嫌だと思うことを、人に頼むのは嫌なものだ。
それでも食っていくためには、仕方が無い。
こういう愚痴はなんら生産性が無い。
それでも言いたくなる愚痴。
こんな日は、よく眠るに限る。
ぐっすりと、眠れればいいのだが。
By 成瀬
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携帯電話を毎年買い変えている人を見て、なんてもったいないと思ってしまうが、そういう私は自転車を何台も持っている。
根が貧乏性なので、高価な自転車が買えないものだから、安いものを買っては後悔し、それより少しグレードの高いものをまた買っている。
家に何台も自転車を置いている私を見て、なんてお金にだらしの無い人間だろうと思っている人もいるに違いない。
価値観とは、そのように多様なものだ。
そういう多様なものだと理解できないから、人は人を非難し合う。
自分の価値観は大切にしたいと思っているが、価値観を押し付ける人にはうんざりしてしまう。
「こうでなきゃならない」ではなくて、「わたしはこう考える」でいいのだ。
そういう価値観を、自分自身に押し付けていないだろうか。
それで、自分が苦しんでいるとしたら、これほど不幸なことはない。
価値観を押し付ける、もう一人の自分と戦っている。
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メールマガジンの相互広告願いのメールがきたので、それを読んでいたら、イエール大学の卒業生の内の3%が成功をおさめ、その3%の資産の合計が、残りの97%の資産の合計を上回る、と書いてあった。
ひがみかも知れないが、その3%の人が本当に成功者だと言えるのだろうか、という疑問を持った。
もしかしたら、残りの97%の内の何パーセントかの人は、運良く稼いだお金を、恵まれない人たちへの寄付や、自然災害の被災者の人たちのための援助に使って、自分自身は生活出来る程度の資産しか持たない人かも知れない。
もしかしたら、何パーセントかの人は、お金儲けにあくせくせずに、家族や仲間たちが楽しく暮らせるように、モラルを持って、明るく健康的に生きている人かも知れない。
成功者とは、お金儲けのうまい人、資産をたくさん持っている人という人生観に振り回され、97%の人が不幸だと思っているなら、それは悲劇だ。
今の日本が、そうなっているような気もする。
尤も、アメリカ人ほどではないかも知れないが。
本当の成功者とは、自分だけでなく周りの人たちも幸福にしてしまうような、そんな暖かい懐を持ち得ることの出来た人ではないだろうか。
もちろん私は、その相互広告願いのメールを躊躇無く削除した。
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人生は楽しまなくては、という気持ちに変わりつつある。
これまで、何かを成し遂げなくてはという気持ちが強くて、中途半端に勉強をしたり、遊びたい、楽をしたいという気持ちを抑制しようとしてきた。
楽をすることが罪悪だという意識が根底にあって、それでいて一つのことに集中することもできず、理由を作っては自分を忙しい境遇に落とし入れ、どたばたとしていることで現実から逃避していたような気がする。
今更、ビル・ゲイツになれるわけでもなく、村上春樹にも、井上揚水にもなれるわけでもない。
今の境遇にあわせて、ゆっくりと楽しんで生きればいいじゃないか。
仕事がしんどいといっても、24時間を拘束されるわけじゃない。
自分の割り当てられた仕事だけに集中して、人の苦労まで背負い込まなければもっと自由な時間も作れるはずだ。
人はそれほど私自身に期待をしているわけじゃなし、人から良い人だと思われたって、自分を不幸にしてたら何にもならない。
楽しまなくては。
限りある人生だから、身の丈にあった生き方をすればいい。
自分が幸せであれば、きっと自分の周りも幸せになるだろう。
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調子に乗りすぎてしまった。
人間は、二つの別のことを同時に集中出来ないことを、肝に銘ぜねばならない。
今回は、心にではなく、体に傷を負ってしまった。
注意力が散漫になっていたというか、考え事をしながら体を動かしていたのが原因で、怪我をしてしまう。
箇所は左指。
キーボードが思い通りに打てないのがもどかしい。
それでも落ち込まないのが救いだが、反省はきっちりとやる。
もう、考え事をするときは、他の事をしないようにします。
人に迷惑をかけてしまったのだから、それだけの代償は受けて当然です。
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大きなトラブルを、動き回ることと緊張を持続させることで何とか乗り切ったと思ったら、ガツンとまた別のトラブルが襲ってきた。
神様は、私をお試しですか?
っと、言いたいくらいに次々とトラブルが重なる。
深夜の会社のロッカールームで、へとへとになって着替えていると、同僚から声をかけられ、
「あの時の判断ミスが今のトラブル続きを招いているのではないですか」って、言われた。
一瞬、「他に選択肢が無かったのだ」と、否定しかけた私だが、
「確かにその通りかも知れない」と、肯定した。
神様が私を試しているのではなく、私自身が私自身を試しているのかも知れない。
さあ、この逆境を、どう乗り切るか。
心にみなぎるものを、今、感じている。
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心に隙間の無い状態が続いている。
要するに、考える暇が無いほど忙しい。
そういう時は、生きているのが楽である。
ただ、本当にやらねばならないことは別にあって、それを先送りにしているようなところもあり、ほっと一息つくと不安感が襲ってくる。
だから、人に任せればいいことまで自分でやって、バタバタと動き回っている。
もしかしたら、そうやってこれまで生きてきたのかも知れない。
のんびりと生きている人をうらやましく思ったり、自分のペースを貫いている人を身勝手だと憎んでみたりしたが、自分にとっては苦労を買って出てまで忙しくしているのが一番楽なのかも知れない。
そういう以前の自分に戻ってきたところを思うと、山あり谷ありの状況は変わらないが、少しずつ右肩上がりになりつつあるようにも思える。
損ばかりしていると思っている自分の生き方を、少し見直す時が来ているのかも知れない。
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誰もが持っているから自分も持つ権利がある、というようなニュアンスをにおわせてゲームを買えと、子供が言う。私には直接言えないから、母親にせがんでいるようだ。
今、飛ぶように売れているゲームだ。
だが、私は買ってやらない。かわいそうな気もするが、けじめはけじめだと思っている。
自分なりに目標を決め、努力をして、成果を出せるのなら、その息抜きにゲームをやっても良いと思うが、友達が皆持っているからというのは理由にならない。
それで仲間外れにされるような友達なら付き合わなくても良い。
子供の喜ぶ顔を見たいと思うのは親の心情だろうが、周りが皆持っているから、自分の子供にも持たせてやれねばと思うのは、甘やかしているだけだと思う。
もちろん自分が興味を見出し、努力をして、この分野で一番になりたいと本気に思っていたら、私は他のことを惜しんででも投資はしてやるつもりだ。
今の親が甘くなったのではなく、弱くなったのかも知れない。
子供の悲しむ顔を正視して、子供のためだと心を鬼にする強さが無くなってしまっているのだと思う。
私は過保護に育ち、そして心が弱くなった。だからといって、親に責任をなすりつけるつもりは毛頭無く、心が弱くなったのは自分のせいだと思っている。
だからこそ、子供たちには強い意志で立ち向かいたい。
とか言いながら、時々は超甘い父親になって、妻から叱られるのだが。
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